森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

自営業の家

生家は自営業だった。
その反動か、ずっと会社員に憧れがあって、今じぶん自身は会社員になっているんだけど。
自営業の家の子に生まれておいて、良かったなあ、と、思うことがある。
どうやら、こども時代の環境がものをいって、接客の度胸がついているみたいなんだよね。
生活している家の一部のスペースに、突如お客さんがやってくるという家庭環境で、親が留守のときは、こどもでもお客さんの前に出るってシチュエーションがあって。
会社員の仕事は、たまたまずっと接客から離れたところにいたから、接客の経験も教育も乏しいんだけど、今、店舗に出て占いをする機会をもらって、新人だから、飛び込みでいらっしゃる新規客ばかりがわたしのお客さんで、もしわたしが会社員の親の子に生まれていたら、もっともっと緊張したんじゃないかと思うのだ。
しかし、まだお客は超少数なので、長い待機時間に、どう耐えるかという新たな問題にも直面しているが。
皮肉にも、忍耐力のいる長時間の座り仕事、は会社員生活でさんざん乗り越えてきたので、そっちの経験に助けてもらっているのかも。
じぶんが望んだことや、選択したわけではないことに、今、助けられていることに気づく。

天候は天の感情

ふと振り返れば、コロナ禍が始まって以来、私生活は、算命学と占星術とタロットとアイドルグループAと、ともにあるなあ。
予想外の事態だ、まったく。
Aの歌には、ときおり宇宙感覚の入った詞のものがあって、狙ってそうなっているのか、ささげものみたいに、自然と宇宙感覚が漂う歌詞が集まってくるのか、考えるほどにロマンチックである。
Aが、コンサートで、雨やスコールに見舞われる率が多いのが有名と聞いて、メンバーの宿命を算命学で見たときに、そりゃ…そうでしょ…と、宇宙のシンクロぶりに、感動した。
この宿命にして、このグループ名なら、雨は天からの祝福、宇宙が喜んでいるサインだ。
じぶんは晴れ女だという自信を持って生きてきた身としては、雨に対してネガティブなイメージを抱いてきたが、うん…偏見だったなあ、と発見する。
天が騒いでいる、天が感情を伝える手段に雨やスコールを使うときもあると。

キラーワードはネガではない

サッカーで、以前は「ロスタイム」と呼んでいた時間は、今では「アディショナルタイム」と呼ぶ時間になっている。
「損失の時間」から「追加の時間」に名称が変わっただけで、この時間の得点数が、上がったそうだ。
ポジティブな言葉の力は、侮れない。
人に何かを伝えるときは、キラーワードが欲しいな、と思っていた。
でも、キラーワードって言葉は、ネガティブかな…
エナジーワードとか、ハッピーワードとか、じぶんの中では別のワードに書き換えたほうが、いいのかな…
でも最近、キラーワードのままでいい、と確信した。
西洋占星術の、冥王星のようなものじゃないかって、思ったから。
死と再生を司る冥王星は、生まれ変わるには、まず死が必要、と、しんと無言で主張しているような星。
まず殺されよ。あたらしくするのなら。
それがキラーワードなのかもしれない。

思いがけない位置が魅力

占星術を学んで面白いと思ったのは、「位置関係」が、その人らしさを作り出すということ。
算命学は、宿命に持てる星は人によって種類が限られているけれど、西洋占星術は、誰もが、ひとまず全部の星が与えられる。
そこから、その人の ユニークさを作りだすのは、星の配置と、星同士の位置関係なのだ。
ひとつの会社の姿みたいな感じで、例えば頭の働き、という能力を、どの俳優をキャスティングして、どの部署に配置して働いてもらうのか、というイメージ。
そして、そのキャストは、同じ部署に、すぐそばに他にもキャストがいるのか?
他の部署に配置されたキャストがいて、そのキャストと仲がいいのか、鍛えられるのか、刺激しあう関係なのか?
美しさ担当のキラキラした能力に対して、地味な俳優がキャスティングされたり、配置された部署が目立ってはいけないところだったり、せっかくキラキラする能力担当なのに、仲よしもライバルも社内にいない…という状態だったり。
かといって、適材適所とばかりに、とても能力にふさわしいキャスティングや配置部署に入ったとしても。
それじゃ当たり前すぎて、面白くない。
思いがけなさがあったほうが、え、これ無理でしょ?無謀でしょ?というキャスティングや配置や位置関係を持った会社のほうが、生命力が満ちてくる感じがする。人間もそう。

手相は、記録帳、予約帳

今の情勢では、イベントでの手相観は難しいと感じて、しばらく手相観は封印していた。
先週、1年ぶり?に参加したイベントで行ったのは、タロット鑑定。
鑑定するのに、お互い接触する必要がない。たとえリモートでも、カードはちゃんと答えをくれる。
カードは、潜在意識を落としてくる。潜在意識は、物理的な距離は関係なく伝わる。そのことを確信できた。
先日、奇しくも、店舗で鑑定する機会をもらって、感染対策もきちんと講じている店舗なので、久しぶりに、久しぶりに、手相を観る。
生年月日から鑑定する命占でも、易やタロットなどの朴占からも、得られない…現実に刻まれた手の上の、しるし。
嘘がつけない、細工もできない、しるし。
日記帳を続けるのが無理な人も、大丈夫、手相という記録帳を、誰もが持っている。
記憶すべきことは、大切なことは、手相に記録されているから。
手相は、記録帳というだけではなく、予約帳だったりもするのだ。
少年の手に、すでにしっかり、なんかやるぞ、って線がおとな年齢の位置に約束のように、刻まれていたりするから。天からのリザーブみたいに。
やはり停止させたままでは、いられない占術だ、手相って。

唐突に占い開始

唐突な展開で、週末に、店舗で占いをさせて貰えることになった。場所は神田駅の近く。
集客力が低いと、年明けに店舗から去らなくてはならないんだけど、どうなるのか、わからないんだけど、とりあえずやってみよう。
というわけで、昨日が、その初日。
単純に占いのことだけを考えていられる環境ではなく、裏方の作業とか、よくぞここまで システマティックに整えたものだ、と感心する運営管理システムの事務を覚えるのに、ひっ、必死。
大切な日なので、その日の朝、一日の心構えについて、易をたててみた。
水火既済。
最初は穏やか、終わりに乱れる?
…すぐには意味がわからないなあ、と現地に行き、一日を終えたとき。
その意味がわかった。
と、同時に、易について、易のジャンルである朴占というものについて、思うことが。
未来は、人々の、潜在意識によって作られていくもので、潜在意識は伝わるから、朴占は、その波長を拾っているんじゃ?
→これは、朴占の使い手じゃないと、意味不明の文章。
とにかく、それほどに、まず人間の意識ありき、なのだ。本人の意識がないと発火しない。
…そんなことを発見した、店舗占い師デビュー初日。

いったん止まる

会える人も、行ける場も、制限された状況の中で生まれる感情の流れは、今まで味わったことのないもので、初めて出逢う感情の中に浸っていると、それはそれで心地が新鮮で、得難い経験だ。
幸い、生活難に陥っているわけではないから、そう思っていられるのだろうけど。
不思議なことに、この不自由な期間に、趣味方面で新しい知識をたくさん詰めこむ状況になり、頭の中がカオスだ。
詰めこんだ後は、いったん停止せよ。
九星気学でいう、八白土星の指し示す教え。
それ、今すごくわかる。
動きつづけて、詰め込みつづけて、それをずっとつづけていると、水みたいに流れていって、風みたいに通り過ぎていって、残るものがない。定着するものが、ない。
追加することをいったん止めて、蛇口をいったん閉めて。
じぶんの中に反芻して、染み込ませないと。
わたしに限らず、世界中に対して、いったん停止せよ、と命じられている気もする。