森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

六白顕現の年

2017年に、初めての仮吉方をとった。
北西の方位。
二黒土星と、六白金星の効果が、ある方位。
三ヶ月の仮吉方に出る前月に、自宅の天井から漏水が起こったことが…今年、不思議なかたちで、勇気をもらう記憶になった。
2017年に、無事に仮吉方を終えて、戻ってから、効果として感じたのは、仮吉方先で、自覚なく得ていた、九紫火星の効果と思われることのほうが、強くて。
六白の効果というのは、あ、これだ、というものに会わずに、ときが経過。
方位の効果は「とった九星が中宮した年亅に、顕現すると教わった。仮吉方後、六白が中宮するのは、2021年。二黒土星中宮するのは、2025年である。
ずいぶん私、待たなきゃいけないタイミングでとったみたい…。翌年に中宮する場合も、あるだろうに。
と、思いながら、六白金星中宮の年が、まもなく始まろうとしていた、2021年1月下旬のこと。
つづく。

占うときの、ほのぼのタイム

私が使う命術は、東洋だと、日にちまでしか見ないけれど、西洋だと、時刻までわかったほうが、がぜん面白くなる。
占いに対して「面白い」という表現は失礼になるのかもしれないけど。
本人は、生まれた時刻を知らなくても、お母さんは、たいてい覚えていたりする。じぶんが産んだから。完璧じゃなくても、お昼近かったとか、夜9時頃だったとか。
お客様に、そう伝えると、殆どの人が、その場でお母さんに、ラインをしたり、tellをしたりして、聞く。
お母さん、電話したら驚くかなあ、とtellをして、お母さんが、分単位の時刻を即答したり、先に手相を見ている間に、ラインの返事が到着していたり。

母子手帳を探して、きちんと確認してから返事を送るお母さんとか。
お客様の、お母さん、時刻をきっちり覚えていたのって、ひとりめの子だからかなあ、という呟きとか。

そのやりとりは、毎回ほのぼのしたきもちになる。

読者の方が鑑定に

久しぶりにこのブログに記事を書く。

占いの店舗に出演を始めて、一年が過ぎた。

2020年の9月にスタート、半年を経過した頃、店舗を変わるように経営者から連絡が来て、2021年3月から別の店舗へ。新しい店舗でご一緒する占い師の先生方とお客様の雰囲気に馴染んで半年。

三件目の店舗に移ってくれないかという連絡が来る。

週に1曜日しか出演していないのに、半年ごとに店舗を移る私…。お客様の数は少数で、売上なんてかなり下の順位だろうから、スカウトになってないと思うんだけど…。

二件目の店舗の雰囲気が好きになっていたので、そこから去るのはとても寂しく思って、「どうするか占って答えを出してもいいから」と経営者に言われ(占い師の世界だ…)タロットを切ると、何度切っても「スタート」のカードが必ず、出てくる。必ず!

移る先は、新規客数ナンバーワンの店舗で、その店舗出演の声がかかる機会は、今後ないかもしれない。これも経験になるんだろう、と移る決心をする。

ちょうど店舗を移る境目の週は、ワクチン接種を兼ねて夏休みをとっていたので、占術の師匠のひとりに、鑑定を申し込み、占いの仕事の相談に行くことにした。

というのは、平日は会社勤務、金曜の夜は、算命学の授業(歳位に合格しても、まだ未取得の内容があって…)、土曜日に占い、それに追加して、西洋占星術の勉強も深めたい、と思って、日曜日の午前に西洋占星術のプロ講座(こっちは月に二回だけど…)の授業も始めていて、体と心がともに疲労気味で、先行きの不安を感じていて。

鑑定を受けに行った先生は、9か月に渡って、生徒ふたりに先生ひとり、というほぼプライベートな状態で授業を受けにいっていた先生なので、距離が近くて(コロナ前だったから)わたしのことをちゃんとわかってくれている、という信頼感があった。

…先生からは、とてもためになる言葉をいただいて。

占い店舗にとって、占い師は、駒。占い店舗に出演している点を、自分のために使うこと。そして、占い師個人の、わたし自身のファンのお客様をつくっていかなくてはならない。ブログがあるのなら、じぶんがどこにいるのか明らかにする。

ブログは書いているの?と先生に聞かれて、「嵐のことだけ占っているブログを書いてます」と言ったら「面白いじゃない。そこで占い師としての自分の所在をオープンするべき。占い店舗に駒として使われているのだから、あなたも占い店舗を使いなさい」

「ブログの占いの内容について、クレームが来るか不安で…」

「今までクレームが来たことはある?」「ないです。」

「どんなクレームが来ても、占い師として受けて立ちなさい!」

そうか。受けて立つんだ。

というわけで、まずは、もうひとつのブログのプロフィールに、占い店舗と占い師名を入れてみた。それが先月、9月初め。

昨日、10月2日に、このブログもアメブロも読んでいただいていた方が、鑑定に来てくださったのだ…。こういうことが起きるんだ。初めてのことだったので、嬉しい。

だからこの記事は、記念に書きました。読者の方を初めて鑑定した記念に。

もうひとつのブログはこちら。
ブログタイトル「宿命ってやつは。」
https://ameblo.jp/topazfall

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

合う?合わない?

先週末から、別の店舗で、占いスタート。
準備を手伝って、じぶんのテーブルに落ち着いてから、店舗周辺地図を観察してみると。
学校、多い…。
小学校から大学まで。学校にとりかこまれている。
そして、店舗が変わってみて、初日の気づき。
お客は、じぶんに合う占い師を選ぶ。
今更ながら、始めて、それを知った。
店舗で一緒になる他の占いの先生のところには、それぞれタイプの違うお客さんが来ていることが、初日にして、わかった。
合う占い師のところに、お客さまは行く。
他の占い師の先生を選ぶお客さまに、こちらに来てほしいとは、思わない…だって、明らかに、あちらの先生のほうが合うなあ、と納得できる。
考えてみれば、友だちを選ぶときも、そうだよなあ。あまりにシンプルだから、忘れていたけれど。
店舗が違えば、また違ったお客がくると経営者から言われたけれど。
この日、わたしが逢ったお客さまは…今までと、ほぼ同じ客層だった…不思議なことに。
わたしのお客さま、って、わたしが合うと思ってくれるお客さまって、こうなのかなあ、と嬉しく思索。

違う職場の効果

占い師を始めたら、それは別の職場のやり方も始めることに、なるんだなと思う。
占い師は個人事業主で、店舗には一面識もない先生方がたくさんいる。
経営者からは、ラインで指令や連絡事項がやってくる。他の先生方の連絡事項もライン。
一面識もないけれど、ラインでつながっているだけで、なんとなく知り合い気分。
売上報告はタブレット、支払い通知はメール。
タブレットには、その日の店舗別の売上順位が10分おきに更新表示。
(それに振り回されないように、じぶんを保とうと気をつけている)
人と人が直に対面して、なんてしなくても、仕事は回っていく。
お客さまと対面して占うのは、なんだかとびきりの贅沢に思える。
ちなみに、電話鑑定は私は無理そう。
ためしに、ココ◯ラに登録してみて、運営の仕組みや、アプリの性能に、ほお、と感心しつつも。
練習で1時間イヤホンマイクをつけて、自宅待機をしただけで…嫌になった。
家の中で、拘束される状態にあるのが、じぶんの意思ではなく、じっとしていることが、わたしには非常につらいみたい。
ということに、今さら気づいたりして。
なぜそうなのかも、じぶんのホロスコープを見て、あ、と府に落ちたりする。
対面鑑定で使おう。

千万長者はいない

3月から上野の店舗に移ることになった。
2月までは、今の店舗。
上野には、また違ったお客さまが来る、と経営者から聞いた。どんなお客さまかなあ。
今の店舗は、二十代のお客さまが30パーセントくらいな感じ。
二十代の人とさしで話すのは、面白くて、新鮮。会社員生活では、二十代の人に気を遣われる状態だし。
二十代のきれいな女の子が二人で占いに来たりするときは、キラキラでまぶしい。
15パーセントくらいが男性客かな。
男性客のほうが、ほとんど延長してくれて、お金払いは女性より良かったりする。
ある男性客に「百万長者は、占いにお金を出さない。でも、億万長者は占いにお金を出します。百と億の違いはそこです。目に見えないものを信じることができるか」と言ったことがあって。
後で、そういえば、なんで千万長者は、ないんだろう?と思う。
千万レベルをすっとばすほどの、高度経済成長があったってことか。
たしかに百万は、長者とは言えない。社会人の年収の単位だ。そして、今では、占いに来る単位。

怪しいと信頼と

今、占いをしている店舗は、神田なんだけれど、もしかしたら上野に移ることになりそう。
今の店舗、三ヶ月を過ぎたところだし、リピート客も現れ始めたし、しばらく今の場所にいたかったんだけど。
この世界でお客がつくのは時間がかかると聞いていたし、パラレルワーカーでもあるし、客数は超少数なのは仕方がないと思っていたから。
しかし私、移るの早すぎない?と、まだ困惑中。
「できる先生だから」「いい先生だから」もっと鑑定の経験を積んでほしい、と経営者からの言葉。
しかし、経営者は、心理テクニックに長けた、百戦錬磨の占い師なので、その言葉を信頼できないじぶんがいる。
占い師に、怪しいという形容詞が定番なのって、それもあるのかも。
信頼できる占い師って、どんなふう?
心理テクニックみたいなものは、嫌だな。それこそ信頼されなくなってしまう気がする。占術の技術は必要だと思うけど。
できるだけ、じぶんの素のこころを失わないことかな…って気がする。