森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

『好き』から逃げられなくなるとき

占術の学校の授業では、技法の講義の他に、そのときのトレンドの人物を鑑定する。宿命を観ていて、涙してしまうようなときがある。
先日は、亡くなった俳優M が取り上げられたんだけど。
難しいね。人間て。好きなようには、生きられない。周囲がその人の『好き』に納得してくれない。
華やかに生きることにふさわしい、才能や美貌に恵まれても、それは必ずしも、本人が望んだ生きかたではなかったとしたら?
他の能力、例えば高度な知性に恵まれた人の生きかたを、そのときの社会のトレンドが決めてしまっていて、本人は必ずしもその生きかたを好きではなかったとしたら?
見かけどおり、才能どおりの、『好き』を持った人のほうが、少ないのでは?
もしも、その人をとりまく人間関係に、その人が『好き』なものが、含まれていなかったとしたら?
Mが亡くなっあとに寄せられるコメントは、Mの人当たりの良さと、こんな選択をする理由がわからない、という内容が多くて、果して、友人は、そういうコメントをするものだろうか?と授業で問われる。
友人ではない。それは、もう一段階外側に描かれた円内の、濃くはなく薄目の、人間関係。
ときに自分の不機嫌な気持ちを理不尽にぶつけて、それをされても受け流せて、関係は揺るがなくて、それはふたりの間の理解が、もうできているから。それが友人。いつも感じよく、優しく、は友人未満だよ。
仕事仲間にそういう関係ができている人がいたなら、それはありがたくて、うれしくて、大切な人だ。
その『好き』、君に似合わないよ、と周囲に言われても、いつか正直に、『好き』と向きあうときが、『好き』から逃げなくなるときが、きっと来る。誰にでも。