森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

今、ためされている

無観客になったら、意味がない芸術はたくさんあって、それらのアーティストの状況が深刻な状態で、それでも今、できることを、と宮本亜門が立ち上げた、上を向いて歩こうプロジェクトの動画は、涙もの。
この災厄が終わったときに、人々が求めるのは、文化、芸術。
今、ためされている、という宮本亜門の言葉は、仄かに燃えつづけている、無数のきれいな炎を見るかのよう。
炎は芸術家たち。
まるで今の予言だよ~と友人が教えてくれた、スティーブン・ソダーバーグ監督の映画コンテイジョンを、たしかに予言!と驚きながら視聴して、映画には、終息後の状況は描かれていないから、宮本亜門コンテイジョンを超えた予言を、したのかも。
今、ためされている。

AIと易

二回、易を立てた。
最初の問いかけで出た卦に、そうかあ、と勇気と覚悟をもらって、二つ目の問いかけで出た卦は。
これは、問いかけるべきではないことを、問いかけてしまったらしい、と判断。
易の卦には、一生に一度、出るか出ないか、というスーパーな卦があって、それが出たときは、大喜びしてはだめで、たいていは、易が答えることを拒否したしるし。
その問いには、お答えできません、ってこと。聞くほうが悪かったということ。
易の答えは府に落ちることもあれば、何でこの卦?となることもある。
答えに行き着くまでの道筋は、じぶんで考えねばならない。
これ、何回かNHKで観たAIの答え方に似ているなあ。
AIに、さまざまな社会問題の解決策を問いかけて、意外な答えを出してくれるけど、その答えに行き着いた思考プロセスを、AIは教えてくれない。それを解くのは、人間。
AIが答えを拒否するときは、どんな拒否の仕方をするんだろうか?
そんな質問をするなってとき。
それは、じぶんで考えなさいって叱られるってとき。
易のように、AIも、人間を叱るのだろうか?

春のチャージ

花も葉も、春が来た、とばかりに、きれいな色で芽吹いていて、晴れた日は、鳥のごきげんなさえずりが聴こえてきて、きっと海の中もそんな感じで、自然の中に一番たくさんの生命が産まれる春は、たしかに今、そばにあるのだけれど。
子年は、さまざまな命が、新しい命が産まれる年。
めったに赤ちゃんが産まれない動物に赤ちゃんが産まれたという動物園のニュースに、これも現象のひとつなのかなと、思ったり。
新しいウィルスが産まれやすい年でもあるのかと思ったり。
生命と生命の戦いは、どちらもただ生きようとしているだけ。
どんなものでも、役目があるから産まれてくる。
役目がなくなれば、いなくなる。
人間の中に、生命力以外にも何かがチャージできたら、チャージが終わったら、ウィルスの役目は終わるだろうか?
とにかく、今はチャージだ。

うぐいす仮宿中

先週から、隣の植樹スペースに、うぐいすが飛来した。
毎朝、うぐいすの鳴く声で目覚める嬉しさ。
いつまで仮宿してくれるかなあ。
ここ何年か、じぶんの近未来についてうだうだあたふた悩んでいた。
通っている算命学の講義で、折に触れて上がる陰陽の話題で、今月は国の歴史にも、陰陽があると知る。
明治維新を期に、鎖国で内側方向だった日本は陰、開国して外側方向に矢印が切り替わってからが、陽の時代。
そうか、わたし。じぶんの近未来の考え方が陰だと悩むんじゃない?と、はっと気づく。
給与なしから年金までの間を貯金でつなぐには、って試算して悩むのは、矢印の方向が内側だから陰だ。
こういうことをやろうかなあ、それをやるには定年まで会社にねばったら、チャンスを逃しかねないから、会社の望み通り、定年まで待たずに辞したほうが、と計画を練るのは、矢印の方向が外側だから陽だ。
陽の悩みは、なんだか楽しい。矢印の方向が未来に向かうから。
矢印が動かないと、悩みは苦しい。

華と戦の時代

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令和の日本は、華やかな時代となる。
オリンピック、新駅オープン、万博など、華やかなイベントがめじろ押し。
そして、形を変えた戦争の時代ともなる。
算命学の授業でそう習ったのは、昨年末のこと。
コロナウィルスに関した言動は、緊急事態、国民一丸となって戦う、この戦いに勝利する、などなど、まさに形を変えた戦争めいている。
こういう形で現れるとは。
華やかな戦い、という言葉が最も似合うのは、スポーツ。
令和の戦いは、その形へシフトしていってほしい。

じぶんの答え合わせ

算命学の授業を受けていると、じぶん自身の答え合わせをしている感覚におちるときがある。
前回の授業で判ったのは、私は「受け身で伝達する人」だということ。
授業では「先んじて自分から意見を出さず、他者の意見を聞いてからじぶんの意見を出すといい」と教わる。
でも、私はじぶん自身のことだから、顧みて考えて、「受け身の伝達」の表れかたは、じぶんにはこんなふうだ、と気づく。
材料が必要なのだ。
じぶんの中から湧き上がるものを源泉として伝達できる人もいるけれど、どうやら私はそれではない。
お題、ネタ、材料。
じぶん以外の何かがあって、それについてじぶんの言葉で伝達するのがとても好き。
占いは、必ず材料(鑑定の対象)が必要だから、じぶんに合っていると思う…。