森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

階段を降りるジョーカー

映画「ジョーカー」を観た。
主人公のアーサーが、街中の長く続く階段を上っていくシーンが印象的なのだけど、上っていくアーサーの後姿はとても苦しげで、それは生きることの苦しみそのものが現れているよう。
そして、アーサーがジョーカーになったとき、ジョーカーは階段を上らず、降りるのだ。
とても楽しげに、クールに、生き生きと。
階段を上るのが苦しければ、降りればいいんだ、とあるとき気がついたような、ふっきれたような、爽快といっていいほどの突き抜け方で。
階段の上の世界ではなく、下の世界に、アーサーの、ジョーカーの生きる場所がある。
バットマンに登場するさまざまな異形のキャラクターは、バットマン自身も含め、異星人やモンスターというわけではなく、もともと人間のはず。
人間が異形の者になるのには、そうなる理由があるからなのだ。
この映画で語られるのは、アーサーがジョーカーになった理由。
生まれたときから過酷な日々を生きてきたアーサーに、たったひとつ残された希望はコメディアンになること。
その希望が窯変して、ジョーカーが誕生した。
たったひとつ残った希望を最後まで捨てなかった主人公の、生への希求は、哀しくて魅力的で、心が撃たれる。
二度観るのはつらいけれど、階段を降りるジョーカーには、もう一度会いたい。