森火土金水

手相と九星気学風水について綴っています。 mori ka do gon sui

手相観、進行中。

先週末は、浅草の「心と体が喜ぶ癒しフェスティバル」で、手相観として参加。
直に人と向かい合うとき、自分の心にも体にも、ゆらめきやムーブが起こっている、と感じる。
人と人のあいだでしか起こらないもの。
電話の会話でもなく、メールでもなく、スカイプでもなく。
直に人間どうしで向かい合うことは、そのときにしか動かない脳のぶぶんがあるような、心のぶぶんがあるような、他では代用できない何かがあるような気がする。
今回は知り合いふたりも雨の中、足を運んできてくれて、うれしさいっぱい。
前回の横浜の客入りが少なかったので、今回の浅草もあまり期待しないようにして参加したら、予想よりもずっと多くの手相を見ることができた。
ふだんはどこで手相観をしているんですか?とか名刺はつくらないんですか?と聞いてくれたお客さんも現れて、なにかが進んでいっている感じがする。
先生から教わった、「じぶんの中から自然にあふれてくることしか言わないように」することを守っていくというのは、じぶんの感覚を育て、直観を育てるようなもので、それは使えば使うほど育っていくはずで、手相を観ていくことでしか、磨かれないんだろう。
今回のお隣の出展者さんは、パーソナルなアロマブレンドオイルをつくる方で、初参加で価格が500円だったこともあって、一日中お客さんが殺到していた。
わたしは最初の二回は新参者枠で出展を申し込んで、500円で手相観をしたけれど(やはりお客さんが殺到してくれる)、今は1000円だ。
ただただ数多く手相を見たいというのなら、1000円にしないほうがいいかもしれないけれど、いろいろ考えたすえ。
10分1000円という価格は、手相観の価格としては、最安値に近いこと。
同じフェスティバルの他の手相観の方が、だいたい10分1000円であること。これをはるかに下回る価格にすると、その方々のお客を減らすことになるかもしれないこと。
自分の勤務先で、お客を増加させる手段として、売値を下げたり、割引したりを繰り返した結果、結局は、自分たちの首を絞める結果につながっていることを、目にしてきていること。
…などなどの理由を考えた結果、1000円より下げてはならない、1000円で出展していこうと決めた。
「心と体が喜ぶフェスティバル」は開催7周年目で、最初は10名程度から始まったのが、その日は189ブースの出展者。なんという発展ぶり。発展というより、育ちぶりと言ったほうがいいか。

 

目的と手段

ときにひと月に1回しか行かない状態があっても、
ピラティスのレッスンに10年以上通いつづけている。
つづいている理由はさまざまあれど、そのひとつは、
「身体のために行う」というまっすぐな目的を持っているものだから、
ということに気がつく。
身体にいい、健康にいい、と宣伝されているものは、
ほんとうは、それをすること自体が目的のはずだけど、
ほかにも目的をつくったほうが、より多くの人々をよせつけられると思うから…だろう。
歌い方を習うのは、歌いたいから、それだけが目的のはずが、
歌うと喉が鍛えられて、こんな病気が防げて・・・なんて、ほかにも目的をつくる。
その目的は、健康だけではなくて、頭がよくなる、とか、モテる、とか、
お金持ちになる、とかまで、風呂敷を広げたりして。
ピラティスは、その目的自体が身体のため、健康のためだから、
「発表会」なるものはない。
でも、「健康になること」も、目的じゃないはずなのだ。
健康も、目的ではなく手段のはずなのだ。
なんのために健康になりたいのだろう?
それでいくと、「頭がよくなること」も「モテること」も「お金持ちになること」も
ぜんぶ、目的ではなくて、手段のはずなのだ。
目的を持たない手段は、手段から手段へ、ずうっとループしつづける。
じぶんのこころに一番近いところに、目的は来ているのに、遠回りをする。
食べたいから!歌いたいから!踊りたいから!描きたいから!書きたいから!
それ自体が、目的。
でも、それをすると、健康/頭/モテ/お金がよくなるの?と議論が始まると、
ループが始まる。
そのループは、商売になったりもする。生きることにもなったりする。

 

好きなものを持ち(待ち)つづける

じぶんの好きなものが、どんどん変わり続けていくなかで、残り続けるものもある。
本棚の本を何度も処分しつづけていく中で、生き残ってきた本みたいに。
先週見に行ったミュージカル「レント」もそう。
月に1回程度、ミュージカルを見に行った期間もあったけれど、今ではすっかりその日々からは遠い。
でも、「レント」だけは、日本に来たと聞くと、見に行っている。
常に来日情報をチェックしたり、発売初日にチケットを獲得するような熱情はなく、「レントが来てる」と知るのが初日の一週間前、電車内広告で、なんていうゆるさだけれど。
1997年にニューヨークまで行って、最初の「レント」を見た。
その後は、日本に来日したら、見に行っていた。
CDをさんざん聴いたので、どこでどんな曲がくるかもすっかりそらんじている。
前方の席でなくとも、端っこの席でも、後ろの席でも、満足になった。
「レント」に出会って、21年たって、さまざまな年に何度も「レント」を見て、そしていつも、同じ場所で涙が流れる。
じぶんの感覚の正常さを確認するテストみたいだ。
携帯がない時代のレント、ミレニアム(2000年)を迎える前のレント。
でも、古くない。
お母さんからの留守電がうざいと思う若者たちの気持ち、わかるわかる。
じぶんたちと同じボヘミアン的感性をもつ芸術家たちの名前を連ねていくナンバー「ラ・ヴィ・ボエーム」の中で、「クロサワ」(黒澤明)が入っていることへの、日本人として、きらめく誇り。
「レント」の舞台の人物たちの、生への希求は、今でも同じように、こころを打たれる。
観客席はぎっしりと埋まっているし、観客もおおもりあがりだから、この先も、ときおり日本に来ることがあるはず。
次にいつ会えるかわからなくても、好きなものは変わらず好きだ。
・・・これって長年の友人のような感覚かも。

気になるから。

昨日は、横浜方面のフェスティバルに手相観として参加。
・・・・お客さまが少なかった。
これが、先生の言っていた、「お客さんは来るときは来るけれど、来ないときはぜんぜん来ない」ということか。
他の出展者さんから、いつもはこんなに少なくないですよ~と言われたので、
フェスティバル全体の入場者数が少ない日だったのかも。
とはいえ、初めて手相をみてもらうというお客様がふたり来てくれたり、
四十歳以降に、いい線が何本も伸びているのが面白い手相もあったり、
結婚の線の年齢はどう見積もってもこの年齢だからそう伝えると、
もう一年早くなりませんか~と言われたりで、楽しかった。
(結婚線の場合はこう聞かれることが多い・・・)
今回のお隣の出展者はカードリーディングの方で、どんどん喋っていくその方の仕事の仕方が、伝わってくるのも、また面白かった。
お隣にやってくるお客さんが、選んだ理由に「なんだか気になって」と伝えているのも、面白い発見だった。
「なんだか気になって」という選択理由は、前回の浅草のフェスティバルに参加したとき、わたしも、お客様のひとりに言われたから。
「なんだか気になるから」という基準で、選択するんだなあ、面白い。
モノとちがって、サービスだから、無形のもので目に見えないし、フェスティバルだから、超有名なネームバリューがある人が来ているわけでもないから、一般的な評価のものさしもない。
そういう場合は、じぶんの直感に従って選ぶんだ。
いずれにしても、わたしとしては、あたらしく遭遇する「なんだか気になって」の使われ方である。
何かをするとか、買うとか、選ぶとかするときに、「なんだか気になって」だけで、どんどん行けそうである。
チャンスの女神の前髪をつかめ、というのは、チャンスの女神に後ろ髪はないから。
(後ろ髪のくだりは、byレオナルド・ダ・ヴィンチ
グラフも数値もプレゼン資料もけっとばし、前にすすめばいいのだ。気になるから。

病の休日

こんなに咽喉が痛くなるのは久しぶりでは?という驚きで目覚めた。

唾液を飲み込むだけで咽喉がひりひりと痛い。これが咽喉風邪というやつだろうか、と体温計でチェックしてみると、発熱はまったくない。

体調が悪い休日は安静にしているのが一番だけれど、熱がないのだから、やっておきたいことだけでもやっておこう、と決心。

洗濯をし、室内物干しに干して除湿機をスイッチオン。梅雨時にはそぐわなくなってきた羊毛じゅうたん(ミニサイズ)に掃除機をかけ、くるくる巻いて椅子の上に横たえる。(たぶん秋までこの位置)代わりに麻のじゅうたん(ミニサイズ。新品)をとりだして敷き変える。簡単にお風呂掃除とトイレ掃除と流しの排水口掃除。

咽喉が痛いけれど美味しいものを食べたかったのと、体はだるいものの気晴らしになるかと思い、外苑前のcitronにランチのテイクアウトに出かける。

お店で食べますか~と明るいフランス人店主に問われて「持ち帰りで」と言ったつもりが、ぜんぶの文字に濁点がついている感じになって、ぜんぜん店主に伝わっていないので「テイクアウト」と言い換えたら通じる。

キッシュセットにレモンタルトつきで注文して、できあがりを待っていると、足元に何か触れる・・・大興奮状態のフレンチブルドッグだ~かわいーっつ。このこが店の看板犬にちがいない。(たぶん名前はレイモンド)このこの顔絵は何回も目にしていたけれど、本物に会うのは初めて。日曜日は犬の入店OKだから、今日はこのこも店内を走り回っているんだ~。手をなめてもらって背中もなでなでさせてもらったが、レイモンドの興奮はおさまらず、二階の飲食スペースにつづく階段をすごい勢いで走り昇っていってしまった。(店主が止める声にもふりむかずに)

レイモンド、かわいかったな~出かけてよかった~とほくほくしながら、自宅でランチをしたり勉強したり昼寝をしたり。

4月から勤務先の配属先が変り、どう考えても勉強が必要だなという思いが日に日に強くなり、勉強を開始することにした。

それがさ。

気学も算命学も手相も、早く知りたい!もっと知りたい!と、周囲が心配するほど根をつめて夢中になって勉強していたのに、これは。

勉強って苦しさも不安も伴うことだったことを、思い出させる、これは。

ここ何年か、娯楽になる勉強ばかりやってきて、娯楽にならない勉強もあるんだってこと、忘れてた。

その日、そのときにできる部分をまめまめしく学んでいくしかない。効率の良さとか勝利の方程式なんて、通用しない。ただくりかえし学んでいくだけ。

しかし咽喉痛が去らない~、とひきだしの中を捜索したら、風邪で処方された薬の残りを発見。(咽喉風邪じゃなく胃腸風邪のときだけど)

この薬、のんでおくことにしよ。

東京湾でクジラが目撃」という夕方のニュースに、薬ではなく動物に癒しもらった1日だったかも、と思う。クジラが双葉のかたちのしっぽを、東京湾の海にくぐらせて泳いでいるニュース映像を見て、思う。

 

 

 

世界の広さ

5月から6月に移る時期に、いくつかの出来事があった。

5月終わりには、二回目の参加となる「心と身体が喜ぶ癒しフェスティバル」で手相観。初回より目立たない席位置だったので、お客は減るだろうなと覚悟していたけれど、終わってみたら、初回と同じ人数だった。男女比も同じくらい。新参者枠での参加は今回が最後となるので、出展料増につき、次回からは鑑定価格が500円ではなく、相場価格となる。これからますます、利益のためというより修行のために、さまざまな手相に出会いに行こう。

手相観をしていたその日の夜、気学の師匠がお亡くなりになった。

通夜と葬儀が行われる一週間後の6月最初の土日、わたしはなんの予定も入っていない休日で、なんの予定もない休日があるのっていいなあ、と思っていたら、見事に予定が入った。先生にお別れをしにいくんだ、と通夜へ行く。長蛇の列ができていたその葬儀は、1000人を越える参列者だったそうだ。国内からだけでなく、国外からもかけつけた参列者はみな、先生にお会いしたことがあるはず。映像や書籍だけではなく、生身の先生に。

生身のお客さんを連れてくるのは、生身のお客さんですよ、と手相の先生に教わったけれど、気学の師匠の生身の生徒を増やしたのも、生身の生徒だったはずだから。

気学や算命学や手相観のようなことを、露骨に見下し馬鹿にする知り合いもいる。大切な知り合いに対しては、だまって二度とその話題に触れない。そうでない知り合いとは会うのをやめた。

世界をひろげてくれる、と伝えても、信じてくれないだろう。じぶんで世界を狭めると、いつしか傲慢になってしまうことがあって、その中でつくられたプライドは、たぶんコチコチに固いのだ。

やわらかいプライドを。草花のようにやわらかいプライドなら、折れずに済む。

 

 

 

 

働く場所

今月は、異動前と異動後の、両方の職場を行ったり来たりする日々である。

前の職場のフロア全体のレイアウト変更が行われて、もう私には何の口出しもできないけれど、そのありさまに、心中密かに、がっかりしてしまう。

私が携わっていた業務の内容は、上の人たちには理解されていなかったんだなあ、というレイアウトになっていた。あるいは軽視されていたというべきか。

異動が決まったとき、業務に関わっていた人たち全員から惜しまれ、寂しがられたと思うけれど。

業務についての、理解度とか、思われ度の、低さを感じつづけて、それで私はずっとがっかりしていたんだなあ、と、新レイアウトに遭遇したとたんに、気づいた。

「働く場所」は、「働く内容」に比べれば、どうでもいいことなのかもしれない。

でも、与えられた働く居場所のありようが、働く人のこころを傷つけることだってある。まちがいなく。

異動することができて良かったんだ、と、じぶんのこころに再確認させる。

…昨夜、家族から連絡があって、わたしが家相の面から、いろいろ提案をしたことを予算が許すかぎり取り入れて建設した、親族経営のオフィスが完成し、明日は内覧会をするとのこと。5月の連休帰省時に、わたしにも見せてくれるそうだ。

日当たりの悪い北西に、社長や上層部の部屋が集中し、日当たりのよい南東は、会議室とか休憩スペースとか、社員誰でも使用できるスペースになっているオフィス。

最初は、南東を上層部が陣取るかたちだった設計図の真逆の提案を、みごとに取り入れてくれた。

上に立つ人ほど影にいろ、というのが、家相の、易の鉄則だから、これでいいはず。

うーん、もしもこのオフィスが発展していかなかったら、わたしの責任かも…。(汗)