森火土金水

手相と九星気学風水について綴っています。 mori ka do gon sui

切り替える年

異動希望を出してから二週間。
最近、夜、眠れるようになってきた。
とはいえ、希望かなわず、異動しないままかもしれない。
でも、「異動希望者」として、会社から認識されることになる。
考えるほどに、異動すべきだという思いが強くなってきている。
わたしの仕事をいっしょにやっていた人がどんどん減っていき、
派遣スタッフもゼロにしなくてはならない状況になって、
もうわたしひとり(これってワン・オペ?)しかいない状況になって、
それでもなんとか回していける方法を必死で考えて、
これならなんとかやっていけるかな、と思うところに来た。
でも、気がついた。
わたしの仕事をしたい人は、社内にいないようだ。
ということは、わたしの仕事を引き継ぐこともできない。
だけど、わたしの仕事のかたちを全く変えて、やりたがっている人たちが出てきた。
わたしは、わたしのやってきた仕事を終わらせるべきだ。
今まで仕事で積み上げてきたものを捨てるべきだ。
経験も知識も信頼もすべて。
雇用されている人間は、遅かれ早かれ、そういうときが来る。(定年とか)
そういうときに慣れておけると思わないと。
仕事にしがみついているように思われるのもいやだし、異動するんだ!
と、決めたものの、ぐっすり眠れない日々がつづいていた。
でも、ふと、最近、チェックしていなかった、九星気学分野の、2018年についての情報に触れたとき、驚く。
<2018年は大転換の年。 価値観を全く変える一年。
今までの自分の生き方にしがみついていると取り残される。
今まで努力してきた事があったとしても、そんな努力とは無関係に、 全く新しい状態にシフトする。
 過去の実績、過去の栄光、過去の努力、 長く続けてきた職業、獲得した資格、そういうものに、しがみつかない事が必要。>
だいじょーぶじゃん、わたし!変化にのっているじゃん!
とたんに、夜、眠れるようになった。
昨日のお昼、最近足を向けていなかった、老舗のおにぎり専門店に足を向けると、そこには「閉店しました」の貼紙が。
何十年も営業してきた老舗だから、経営不振などの原因ではないはず。自ら選択した「終り」のはず。
ちゃんと今年の変化にのったお店だといえるな。
夫婦で営んでいたおにぎり専門店は、おつりを差し出す奥様の手が、指長の芸術家的な手で、おにぎり屋さんを営む手ではないなあ、といつも感じていた思い出がある。
おにぎりじゃなくて、手を思い出にしているわたしなのだから、手相を観ることになったのも自然なことだ、きっと。

激しさのモト

実在の人物をもとにした鑑定練習を最近始めている。
鑑定の材料の算出は、自動計算ソフトも使用できるけれど、それに頼らずに手動で計算していく。
そのほうが技術が身につくし、答えあわせもできるし。
先週末は、鑑定練習に、○ティーブ・ジョブズを選んだ。
せっせと手作業で計算し、人体図をつくってみたとたん、まきおこる違和感っ。
らしくない。彼らしくない、この人体図。そんな違和感。
答え合わせをしてみたら、やっぱり、一箇所、計算の仕方をまちがえていた。
こうやって練習を重ねていけば、間違いも少なくなるはず。
計算をやりなおして、できあがってきた人体図を見たとき。
うん、これだ。なんだかすごく、彼らしい。
できあがったのは、火と水だけの人体図。
木も土もない、相容れない関係同士の、火と水だけをもつ人物。
熱さと冷たさを両方持ったら、激しい葛藤が生まれる。
コンピュータの世界のモトは、0と1だけ。
0と1があれば、世界がつくれるように、火と水だけで、つくられた世界がある。人間の中に。
算出する鑑定材料は、人体図だけではないけれど、
できあがった瞬間に呆然となったり、惚れ惚れしたりするのは、人体図だなあ。不思議。

表現したいきもち

知人が油絵を初めて、夢中になっている。
絵画塾に通っているわけではなく、独学で好きなように描いていて、アマチュアの団体の展覧会にも出品。
知らせをもらって、展覧会を見に行った。
展覧会に足を踏み入れたとき。
そういうことか、と思った。
展覧会というと、プロの芸術家、芸術を生業とする人によるものばかり、観てきた。
マチュアが描いた作品が並んだ展覧会は、作為のなさが、ここちよかった。
描きたいきもちが満ちている空間なのが、ここちよかった。
じぶんの中に表現したいものがあるから、描かずにはいられないのだ。
表現したくてたまらないものがあるから、それをする...のは、魂が求めることだからする、ようなものだ。
ただ、魂だけ優先していると、肉体を損ねてしまいかねないのがむずかしい。
極寒の休日、めんどうだな、もー、と思いながらピラティスに行って、使っていなかった筋肉がめざめて動いてほこほこあたたまって、魂が求めていなくても肉体は求めていたことなんだな、と発見しつつ、そう思う。
生きている限り、魂と肉体は両輪稼動。ふたごの親のように、面倒をみる。

生まれたときから二重感情線

手相の、感情線が二本ある状態を、二重感情線という。
私は生まれたときから片手に二重感情線がある。
その後も、感情線は、三本目、四本目と増殖中である。どこまで増えるんだか。
二重感情線といってもさまざまなものがあって、ひとくくりに意味合いの判断はできない。
感情が二倍、情熱も二倍であって、その二倍感がどのようなかたちで現れるかは、いろいろだから。
じぶんが二重感情線だから、じぶんの場合は、こう現れたたな、と思うことはある。
それまで継続してきたことを、突然、ばっさり断ち切ってしまう、という現れ方。
それは、人間、モノ、コト、すべてに渡って。
一本の感情線の情熱が、突然途切れて、あらたにもう一本の感情線の情熱が始まるみたいに。
長年の友人にそのことを指摘されて、そこまで完璧に断ち切らなくても、と助言され、意識して「ばっさり断つ」ことを、なるべくしないようこころがけてみた。
最近ひさびさにやってしまったのは、半年前に、それまで五年間毎月通っていたマッサージ店を断ち切ったことかな。
わたしが一生懸命とりくんでいることを、大金を生み出さないことは価値も低い、という言われ方をしたときに、もう二度とここに来るのはやめよう、と突然決めた「ばっさり」だった。
だから、わたしにとっては、長く継続してきたことを、あるときばっさり断ち切ることは、得意ワザなはずなのである。
その得意ワザをやろうとしているのに、苦しいのは、仕事かプライベートかのちがいなのかな。
プライベートのばっさりは平気だけれど、仕事のばっさりは難しい。二重感情線のくせに。

うぐいす来たる

今朝、うぐいすの声で目覚める。
冬の土用に入ったばかりだけれど、春がもう来ているということなんだろうか。
朝、家を出る前に、しばらく考え込む状態は今も抜けない。
今朝は、サンクコスト(埋没費用)について考える。
ここまでお金を、時間を投資したのだから、やめるのはもったいない、と考えるのが誤りであると。
人間の経験や知識も、サンクコストなのかもしれない、と考える。
ここまで経験と知識を積んできたのだから、ここから撤退するのはもったいない・・・という考え方も、サンクコスト。
企業ではなくて、個人のサンクコストなのだから、その人が、しあわせなのかどうか、で判断すればいいのかも。
個人ではなくて、企業だって、お客がしあわせなのかどうか、で判断すればいいのでは?
企業の事務処理を変えることが、お客をしあわせにするとは、あまり思えないわたし。
でもわたしの話は聞いてもらえないし、伝わらないし。
午前中に目にしたニュースは、銀行は経費削減のため、紙の通帳を廃止したがっているというもの。
でも紙の通帳を廃止することで、お客が喜ぶ(=しあわせ)とはいいがたい。それは銀行側もわかっている。
なんだかそれと似たような感じ。

苦しい理由

南東の仮住まいに出て、9月末に北西に戻ってから、三ヶ月が過ぎた。
この三ヶ月、苦しくて苦しくてならない。
南東の仮住まいに出たときは、出たとたん、こころも体も毎日すこやか♪という楽しさだったのに。
これは、北西という方向の重みだろうか。
最近では、毎朝、20分くらい悩んでから家を出る状態になっている。
わたしの周囲から、わたしが携わっている業務の経験を積んだ人間が皆無になったせいか、同じ部署の人たちに、「言葉が通じなくなってきている」のを感じている。
経験値の増加は、言語化できない経験の増加でもある。
言語化できない経験を、言語にしなくても伝わる相手が、私のそばから、もういなくなっている。
共通言語を持つ人がいない苦しさ。
「伝わらない」ということがこんなにも苦しいとは。
私はどういう生き方をしたいんだろう?と、考えたりする。
誰かになにかを伝えていく生き方をのぞんでいるから、伝わらない状況にこんなに苦しむのかとも。
言語が伝わらない中にいるということは、私はこの部署のなかでは外国人も同然ということになる・・・。
折々の機会に、何人かの人たちから、異動は考えないのか?と問われてきた。
他の会社がどうなっているのかは知らない。
わたしの勤務先の会社は、本人の希望通りに異動がかなう事はめったにない。
でも、どこかへ動くべきときかもしれない。
会社からの異動希望アンケートが配布されるのは、これから10ヶ月先。
それまでの、半年後、10ヶ月後に、わたしの苦しさが減るか、なくなっているような絵が浮かんでこない。
今の時期、異動したいキモチを伝えられる機会があるのは、産業医相談だけだ。言ってみようか。
今朝、20分悩むかわりに、易をたててみる。
「雷水解(らいすいかい)」。「解決」の卦。
第四爻。腐れ縁を切れば、朋友が得られるって?
「雷水解」の上卦は雷、星でいうと三碧木星、前にすすむ星。
止まって悩むより、すすむときなのか。
すすんでみよう、と今月の産業医相談の予約を入れる。

楽しむのに

年末年始休、故郷に帰省していた。
親元には、現在、猫がいる。
家族といるときは、意味もなく楽しいのがいいと思ったりする。
じぶんのキモチを言葉にできない猫の一挙一動も、意味もなく楽しい。
楽しむのに、リクツはいらない。
先月、「バナナゼロ・ミュージック」の中で、ザ・ドリフターズの代表的なコント、「ひげダンス」と「聖歌隊」を出演者が再現していた。
このふたつに使われている音楽は、ばりばりのブラック・ミュージックが元。
元々ドリフは、コント発ではなく、音楽発の人たちだったから、音楽的素養はしっかりとある人たちだっけ。
それにしても、「聖歌隊」で歌われているのは、歌どころか、早口言葉にすぎないのだ。
誰でもできる、ナマムギナマゴメナマタマゴ、というだけで、イェーイ、と周囲はこれだけ盛り上がってしまえるんだ、と今更ながら感心してしまう。
ドリフがこどもに圧倒的な人気を誇ったのも、リクツのいらない楽しさをつくりあげてしまうからだ、と今更ながら感心してしまう。
楽しむのに、リクツはいらない。頭はいらない。