森火土金水

手相と九星気学風水について綴っています。

一滴の水

今、自宅の天井には、穴が開いている。
天井からの漏水が発覚して、業者さんが調査のためにノコギリで切った穴。
この漏水、解決するまでにもうすこし時間がかかりそうなのだ。
仕方がないこととはいえ、日に日に漏水は勢力を増していき、発覚当初は、流し台の防水壁づたいに流し台に漏水が流れ込む、という不幸中の幸いの状態だったのが、一昨日から、床の上とか、ガス台の横にも水滴がしたたりはじめる。
お茶碗とか洗面器を水滴の下にセットしながら、雨はもうあがったのに、うちは24時間雨降りのあばら家のようだ・・・とへこんでいると。
わたしの部屋だけではなく、共用廊下にまで漏水が及んだらしく、管理会社があわてて動き出した。
今朝、漏水の元になっているらしい水道の元栓を止めたと連絡が来る。
被害先がわたしの部屋だけだった十日間は、漏水はそのままだったのに、被害先が共用部分まで及ぶと対応が早くなるな~。
この十日間「一滴の水」のおそろしさも、わたしに染みこんでいる。
ひとしずくの水が、気がつくとけっこうな水量をたたえている。
気学の九星の、一白水星は、吉の作用をした場合、一滴の水のように何かが始まるとされている。
あまくみていた、一滴の水なんて。
一滴の水がどんどん大きくなっていき、出口なんてないはずなのに、水にしか通れない出口を探し当てて流れていく。
一滴の水のような始まりは、とんでもなく大きなものの始まり、という意味を身をもって知る。
一滴の水のすごさを感じつつ、モノを持つむなしさも感じている。
漏水が起こる前は、じゅうたんを買おうかな、なんて思っていたけれど、そんなきもち、ふっとんだ。
いまのところ、クローゼット部分にまで漏水は押し寄せてきていないが、それがどんな高価な服であっても(高価な服は入っていないけれど)、したたりつづけるひとしずくの水は、高価な服の価値なんて、あっというまに暴落させてしまうにちがいない。
家具だって、内装だって、そうだろう。
モノは少なく、シンプルに、漏水なんてあっても平然としていられるような生活っていいかもしれない。
おそらく、自宅で漏水の被害が一番大きいと思われる、流し台の上の天井板部分は、張替えになる可能性が大である。
流し台の上には吊り戸棚があるんだけど、この戸棚も一度とりはずすのだろうか。そもそも吊り戸棚は必要なのだろうか。もしも吊り戸棚をとりはずす事態になったら、そのままなくしちゃったほうがシンプルなキッチンになっていいかな。
なんだかさまざまな問いかけをつきつけられているような気分にさせる、一滴の水。

風のような何か

陽射しが熱いけれど、風が通っていくのが心地よい朝。
今月は風の星、四緑木星(しろくもくせい)の月だったなあ、と思い出した。
風は、実体を持たず、目に見えない。
だから、風そのものの動きは見えない。風が動かすものが見える。
じぶん以外のものを動かす星。
風が通っていくと、ものともののあいだの温度や空気も動く。心も動く。
だから、四緑木星は、じぶん以外の人やものをつないだり、まとめたり、編んだりするのが上手な星。
風の姿を、むりやり見える化すると、長い紐状、流線形になると思う。
粒状や鋭い後光線にはならないだろう。
流れるような長い線は、さまざまなものをつなぐ線。
その線が、人と人とをつなぐ線となると、結婚や組織。
データをつなぐ線となると、ネット回線やブロードバンド、手紙、メール。
長い線のようなたべものとなると、パスタやうどん、ごぼう、フキ。
長い線のようなモノとなると、ロープ、糸、髪の毛。
(髪の毛と仲良しの仕事、たとえば美容師は、四緑木星と相性のよい一白水星、三碧木星、九紫火星の人が圧倒的に多いはず)
見えないけれども、他者を動かす力があるものとなると、かおりやにおいの分野、アロマ、お香、しそやパクチーなど香りの強い野菜。
見えるもの、実体があるもの、のほうが、目立つ。わかりやすい。
だから、ついつい、じぶん以外のものの心を動かすためには、見えかたに力を注いだり、価値を置いたりしてしまう・・ような気がする。
見えないけれど、じぶん以外のものを動かす力をもつ、風のような何か。
「風のような何か」を、感じ取りたいと思う。

すべてのことに意味はない

すべてのことに意味があるなんて考えると、考えすぎになる。
意外と答えは、とてもシンプルだったりするから。
と、じぶんに言い聞かせているけれど・・・。
毎年、気学界(わたしの勝手な造語)で、もりあがるシーズンがある。
それは、今年引越しをしようとする場合に、動くべき時期が近づいたとき。
人によってはこのシーズンが、三ヶ月早く到来する。
本当の引越しはせず、引越しをしたかのような行動をとる場合だ。
その行動を「仮吉方(かりきっぽう)」という。
気学界の外の人からみれば、狂気の沙汰的行為だと思う。
その「仮吉方」のシーズンが、そろそろくるのだ。
動こうとする人たちは、まさにその準備に入っているはず。
それで、わたしもその中のひとりである。
今まで無意識の引越しをしてきたけれど、意識的な引越し、しかも仮吉方は初めて。
狂気の沙汰的行為と笑って体験しないよりも、笑われて体験してみたい気持ちのほうがずうっと強いわけ。
二年以上気学をまなんできた中から、体験した人たちのうわさから、「お試し」がくるとは聞いていた。
意識的に動くぞ!と決意したとたん、その決意をくじくような出来事に見舞われると。それが「お試し」。
おまえはこんな目にあっても動きたいのかーっと覚悟を問われるような、お試し。
この半年間、手や指や爪や手首のケガに何度も見舞われて、これがお試しかなあ、と思った。
わたしが仮吉方をとろうとしている二黒土星は、手指を担当する星だから。
先週、とどめのように右手首を打撲。
でも、仮吉方先を三ヶ月借りる契約書も昨日、届いたし、お試しはこれでもう終りかなあ、と思ったら。
今日、自宅の天井からの水漏れが発覚ーっ。
水漏れは、水を担当する一白水星の事象である。
わたし、六白金星は、今年ずっと、一白水星の本拠地に座っている。
どの星も、この位置に座る一年があって、その年は、苦労の年、学習の年といわれているが。
たしかに今年は、さまざまなケガや不調や経済的不遇には見舞われているものの、このくらいならだいじょうぶ、と思っていたら。
こう来たかーっ、しかもこの時期にーっ、という水漏れ。
たぶん水漏れの配水管を直すために、自宅の天井を壊すことになるんじゃないかな・・・。
でも「お試し」がきたってことは、わたし、きっと仮吉方を果たせる。
方位がロックされたのだ。
すべてのことに意味はない。

けれど、意味をもたせてじぶんをはげますことは、きっと悪くはないこと。

始まりはひとりから

今年に入って出会った「先生」が三人いる。
偶然にも、三人とも「一白水星」(いっぱくすいせい)の人なのだ。
しかも全員年齢がちがう。
九星をひとまわりするには、当然9年必要だから、9年ちがいの、一白水星が三世代そろったことになる。
三人に共通しているのが、「ひとり」で仕事をしていること。
ちょっとしたお手伝いをしてくれるような、アシスタントさん的存在さえいない。
ぜんぶじぶんひとりでこなす。
とても有名な先生もいて、望めばひとり雇うくらい、すぐにでもできるはずなのに、しない。
ひとりで仕事や教室を企業し、ひとりで生徒やお客に対峙する。
どうやら、ひとりでやるのが、つらいことなのではなくて、ひとりでやるほうが、つらくないみたいなのだ。
「仲間を三人集めて企業しよう!」とか、「みんなでお金をだしあってクラウドファンディング」とか、ひとりではできなくてもみんなでやればできるという考え方もあるけれど。
三人の先生を見ていると、みんなよりひとりのほうが楽、ひとりでやるほうがじぶんにとって自然な人が、いるんだと思う。
ひとりでやる強さを、もっているんだと思う。
一白水星の人は、見た目にはそんなに強そうに見えないことが多い。どちらかといえば弱そうに見える。
でも見た目のやわらかさの内側に、強い芯をもっている。
孤独に強く、苦しみに強く、涙を隠し、悩みを隠し、たったひとりでなにかを始める強さをもっている。
始まりを意味する星でもある、一白水星。
始まりは一滴の水から、たったひとりから。
ひとりで初めてひとりで歩んでいく一白水星に、だんだんと支持者が集まっていく。
ひとりですらりと立つ(決して力が入っていない)強さを教えてくれる一白水星と、人生のなかですれちがうたび、はげまされる。

守秘する職業

一昨日が最終出社日だった勤務先の人に、帰り際に挨拶に行くと、いきなり「手相見て!」と両手を差し出されたのでびっくり。
わたしが手相を見せてもらった誰かに聞いたのかな・・・。
雇用継続の人だったので、御年65歳。
この年齢の位置になると、生命線が見えなくなっている場合もある。(決して生命線の長さ=寿命ではない)
こういうときのために、運命線の流年も読みとれるようになっておくべきなんだ!と心中でじぶんに言い聞かせる。
それにしても、65歳で勤務先から去ろうとしている人も、手相にでている、これからの未来はどうなの?とわくわくするものなんだ。
うーん、人生100年時代だ。
先生からは、手相の過去に刻まれた良い線は、そのときにやろうとしていて実行しなかったことを、今からでもやったほうがいいということ、と教わったので、「50歳と52歳でやりたかったことがあれば、今からでもやったほうがいいです!」と伝えると、
「やりたかったことあったけれど・・・うーん、今からだと体力が・・・・」と迷っていた。
わたしは勤務先での交流範囲がとっても狭いけれど、手相を見るときには、かえってそれが幸いしているみたい。
その人の私的な情報を知らないはずなのに、なぜわかるの?と驚かれたり、
線を読んで問いかけていったら、びっくりするような私的な出来事を突然話してくれる人もいて、こっちがええっそんなことが!と驚いたりして、これは守秘しないと信頼を失う!と、早くも鑑定者的「守秘義務」を意識し、もしかして、わたしの交流範囲が狭いから、年取っても非管理職で、上の人のおぼえがめでたいタイプでもない人間だから、信用してくれたのかもしれないなあ、と思う。(他者に情報をもらす可能性が薄いという意味で)
いつまた、突然手相を見てくれと言われるとも限らない、と、帰宅後、教わったことを復習するわたしだった。

君は六白

 

宮里藍の引退理由が「モチベーションの維持の難しさ」と報道されたとき、もしかして・・・と調べたら、やはり六白金星の人だった。
六白金星にとって、モチベーションというのは、とても大事な要素、精神の燃料なのだ。
「モチベーションをキープできる何か」が、常に必要な星、六白。
「夢中になるもの」が必要な星、六白。
それがなければ死んでいるも同然になりかねない星、六白。
ということは、夢中になるものに対しての、正しい選択眼が必要なのも、六白金星である。
そして、ある日突然、すべてを失う星と言われるのも六白金星である。
○スカ、○原和博、○室哲哉、○武洋匡、みんな六白。
六白が強いエネルギーを燃焼させる星だからこそ、夢中になるものの選択を、方向性をまちがえると怖い。
ちなみに、結果が出せなければ、満足感を得られないのも六白。
「モチベーション」と「結果」が得られなければ、去るんだ、六白は、ということをあらためて思い知った、宮里藍の引退だった。良い六白のお手本のような人だ。
追記。
わたしも六白金星だが、じぶんが正しい、じぶんがあたりまえと思っていることが、そうとは限らない、ということが、九星すべてを学んではじめて気がついたのだった。
悪い六白にならないようにするには、謙遜が必要だと思う・・・でも、だまっていられないシチュエーションが、今でも多々ある、はは。修行は続く。

 

ひとりが相手

連休で帰省中に、母と妹の手相を観る。
母の手には、ちゃんと、わたしが生まれたときの線、妹が生まれたときの線が刻まれている。
ひとり目だったせいか、わたしの線のほうがくっきり、はっきりしている。
大変な出来事があったときには、傷ついた線が入っている・・・しかし、両手に男並みの起業線がくっきり。
父が亡きあとも、写真館をきりもりしてきた人だからなあ。
晩年期ゾーンに、しっかりした線が出ているから、長生きするにちがいない、母。
妹の手には、とてもはっきりした長い開運線がぴゅーんと何本か、昇っている。
一本の線は、年齢を問うと、あ、結婚したときだー、という答え。
もう一本の線の年齢を問うと、うーん、あ、姑が亡くなった年だー、という答え。
結婚も、姑の死も、発展的な出来事だったと解釈していいのか・・・。
手相観るの楽しー、しかし、見た後、けっこう疲れる。
一日に何十人も観ている人は、この消耗の度合いを軽くする術を身に着けていないと無理ではないだろうか。
今まで、プライベートでさまざまなことをやってきたけれど、手相観が楽しいのは、相手がいるからだな。
じぶんになにかを反映させようとしてやることは、相手がじぶんになる。(勉強とかスポーツとか)
だれかの創作物(本とか映画とか美術とか)を媒体にして、じぶんになにかを反映させようとすることも、結局相手はじぶんになる。
手相観は、じぶんだけではなくて、だれかがいる。
効率を追求する場合は、「一度に大勢のだれか」が相手じゃないと利益はないということになるんだろう。
「ひとりのだれか」を相手にすることは非効率ということだろうか。
でも「ひとりのだれか」のためにすることは、けっこう楽しい。