森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

謎の手帳

わたし(発信者)ってすごい!ではなく、あなた(受信者)ってすごい!になるものが、商売になる、と思ったのだが。
そういえば「ほぼ日手帳」もそうなのかもしれない、と思った。
頁を埋めるのはあなた、まっしろな頁のままではすごくない、すごくするのはあなた、って商品だもんね。
ここ二年くらい、わたしのほぼ日手帳の使い方は、易(えき)ノートになっている・・・。
易の卦(け)を出したとき、その卦の名称を、日付と問いとともにメモしておくのだ。
易は、相(そう)・命(めい)・ト(ぼく)の占術三カテゴリの中でいうと、ト(偶然性を元にする)にあたるもの。
易は、人のことは占えない、とわたしは教わった。
問う人自身が筮竹をもたなければ、本当の答えは出ない。答えはその人の中にしかないから。
たとえば、じぶんでは全く解き方が分からないテストの問題の答えを易にきいちゃおう!と思っても無駄。
その人の頭の中にある事象が、そのまま卦になるだけ。
以前、「駐車スペースが2Fにある家屋は吉?凶?」と聞かれたとき、わたしにはわからないことだったので思わず易をたててみたら・・・・ああ、「2Fが駐車スペースの家屋」を6本のバーを使って記号・抽象化したら、たしかにこの卦だね、というものが出たの。こういうことかーって思った。
「2Fが駐車スペースの家屋」しかわたしの頭にはないから、それをそのままあらわすことしかできなかったわけ。
じつは、筮竹の所作は簡単なのだ。出た卦の解釈こそが難しい。
この解釈する力を磨くには、オーソドックスな易経原文の解説書と、そのときに出た卦と、そのときのじぶんのこころを見つめて考えていくしかない、と思うようになった。
ときどき、あ、叱られた、と思う卦に出会うこともあり。
悪いこと(明日の会議で上司をいじめてやろう)をしようとして易を立てたら、とてつもなく悪い卦「天地否」(てんちひ)が出て、じぶんの悪いこころを見抜かれて、しゅんとなったりして。(会議で上司をいじめるのはやめた)
易の卦の名前が、いちいちかっこよかったり、なぞめいているのも気に入っている。
天雷无妄(てんらいむぼう)、とか、地火明夷(ちかめいい)、などとほぼ日手帳に(漢字のほうを)書き込むわたし。
知らない人が見たら、謎の手帳に見えるだろう。

九紫がつづいている

仮吉方を開始して、70日が経過。
先週、とつぜん近所に現れたのは、御神輿だった。
週末には、氏子町内を、御神輿が巡った。
一台ではなく、氏子町内のいくつかのスポットに、計三台くらいあったようす。(二台見たから)
御神輿って、どの星の象意だろう?と考えた。
学んできた中で、御神輿はこれ!とずばりとは教わっていない。
そういう場合、意味あいから考えていくしかない。
ふだん神社にいる神霊が、輿に入ってくれるのが御神輿・・・。
神具、仏具は、九紫火星のアイテム。
神霊も九紫火星のもの。
あのきらきらした装飾ぶりは九紫スタイルの本道。
というわけで、御神輿は九紫火星の事物だ。と決めるわたし。
加えて、御神輿が町内を巡る出発時間は、なぜか午後1時。
午の刻、九紫の時間だ。
赤口(しゃっこう)が、午の刻のみ、大吉なのは・・・そのとき、天が口をあけるから、と教わった記憶がある。
天が口をあけるんだから、神霊が輿に降りる時間帯は、午の刻をおいて他にないんじゃなーい? 御神輿は九紫火星、でまちがいないんじゃなーい?
待機中の御神輿の前を通ったので、ちょっと観察。
御神輿のてっぺんには鳳凰(これも九紫火星の象徴)がのっている!
その鳳凰は、お米の入った本物の稲穂(二黒土星のアイテム)をくわえている・・・。
仮吉方の地は、四緑木星、九紫火星、二黒土星がやどるところ。
早めに現れ、その後も長続きしているのは四緑、派手に現れているのが九紫。二黒も地味に、現れている。
星のスタイルそのままの現れ方なのが、面白い。
あと二週間で、仮吉方生活が終わる。

じぶんの畑

今、わたしが手相から紡ぎだすことができる情報量は「10分間語れる程度」だ。
プロでもそうじゃないかと思う。制限時間、だいたい10分間だもん。
でもさー、10分じゃすまないの。
相手がなかなか席を立たない。
わくわくしている感じなの。
もっともっと聞きたい、ってようすなの。
わたしのこともっと話して!って感じなの。
30分くらい話せれば、満足してくれるようす。
人生相談、職業相談、健康相談のような、別の話題に膨らんでいけば、話せる時間はもっと長くなっていくと思うが、じぶんの情報を語らない相手となると。
手相だけじゃ、情報の畑としては、足りないのである。
もっと広い畑が必要なのだ。
仕方がないので、誕生日を教えてくれる相手の場合は、九星気学のほうも駆使する。
算命学を勉強中なので、いずれは算命学のほうを駆使できると思うが、それまでは、限られた畑を耕すしかない。
占術の世界では、相(そう)・命(めい)・ト(ぼく)の3つのカテゴリがあって、3カテゴリそれぞれの、技術を習得しておいたほうが、たしかに良さそうである。

(相(視覚的な情報を元にする)カテゴリからは、使おうと思えば3つ使えるんだけどわたし)
だって情報が獲れる畑が広くなる。じぶんの畑が広くなる。
・・・畑って、技術のことだけじゃないなあ、きっと。

無数の道すじ

「相談事と、その解決法」が「読みもの」になっていることがある。
それらを読んで、最近思うようになったのは、「解決法」は、相談者のものではなく、回答者のものなんだな、ということ。
回答者の、いさぎよい感じ、頭脳明晰なところ、人間的な達観ぶり・・・読みものになった回答には、そういった回答者の魅力が染み出てくる。
たださ。
こうしなさい、という回答者の示す道筋が、相談者にふさわしいものとは、限らないのではないだろうか?
相談者にとっては、回答者の魅力あふれるガイドに従おうとしても、それは、無理して似合わない服を着る、無理して似合わない行動をとるような、ぶれが生じることもあるのではないだろうか?
ほおお、この人の回答はすばらしい、と以前は感心して、楽しんで、読んでいたけれど、学びつづけていると、変わる。
「じぶんの家族に、じぶんを出せない人っているんですか?」
と、先日、手相を見せてもらった人に不思議そうに聞かれた。
その人は、じぶんの家族からたっぷりエネルギーをもらえる手相を持っていて、家族にじぶんをたっぷり表現できるようすも手に表れていた。
「もちろん。じぶんの家族にじぶんを出せない人って、いますよ。(むしろ他人のほうが、じぶんを出しやすい人も)」
と答えるわたし。
じぶんの家族にじぶんを出せないようすがあらわれていたら、そのままでいい。そう思う。
それがその人の道すじ。家族の中より他人の中で生きると生き生きする人のはず。
家族にじぶんを出せないなら、こうやって解決しましょう、というガイドはその人の道すじではない。道すじは無数。

絶大な気分転換

自宅ではないところに、一定期間住むことって、絶大な気分転換になる。
そう実感している、仮吉方55日目。
十年以上、平日の休みは殆どとったことがなく、土日祝日にふらっと一人旅をしようとしても、ある時期から、休日の宿泊施設は、二名以上の予約じゃないと一気に受付の扉が閉まりだした。(平日宿泊の受付はあれども)
じゃ、一斉休暇に海外旅行でも!と思っても、四十歳のときに飛行機に乗れない身体状態になったので、それもだめ。
だから一斉休暇は、親きょうだいに会いにいく帰省に使うことにして。
となると、未知の場所で生活するということを、長年やったことがなかったのだ、わたし。
仮吉方は、勤務生活には変わりがない。
NHK「ちょい住み」みたいに、仕事から離れて、気分転換ができるわけではない。
いままでと同様に、毎日、会社で働く生活に変わりはない。
寝泊りするところが、変わるだけ。
しかし、約三ヶ月という居住期間の長さゆえに、会社生活に変わりはなくても、こころにもたらす効果は、とても大きいみたいなのだ。
しかも、わたしは自宅から3キロ程度離れた場所に移動したにすぎないのだけれど。
たまたま、都心のただ中に移動したからか、その地の会社員たちやお店の雰囲気に、自宅とも勤務先ともちがったカラーがあって、面白い。
微妙な差かもしれないが、何駅か離れたとたん、ちがった様相をかもしだす、都心エリアって、すごい。
仮住まい先が、住宅地じゃなかったのも、よかったのかもしれない。非日常感が大きくなるから。
正直、細かい雑務で、タイヘンな思いもしている。
でも、寝泊りする地が変わったときにこころにもたらされる、理由のわからない心地よさは、タイヘンさにまさる経験、かもしれない。

ハサミ再考

ハサミ。
鋏のことを、あらためて考えた。
こどものころから、身近にある道具。
時代を経ても、基本的に形が変わっていない道具。
完成形だから、変わらないということだろう。
ちなみに、ハサミは、九紫火星のアイテム。とっても九紫火星らしいアイテム。
「切り離す」という意味でも、「完成形」(頂点に達している)という意味でも。あのデザインの意匠も、おもいっきり九紫火星。
今月に入ってから、なぜか、じぶんに九紫火星的な出来事が起こりはじめた。
「離(り)」の象意をもつ九紫火星。
まさかこれが?という意外なものが離れていく現象は、九紫火星らしい現象。
ただし、その「離」は、永久の別れという意味ではない。
そして、その「離」は、プラスに働くはず・・マイナスに働く場合も条件によっては起こるけれど。
先月から仮吉方中のわたし。
九紫火星の「離」の現象が起こったとき、気がついた。
今、仮吉方中の方位は、てっきり、二黒土星と四緑木星だけだと思っていたら、九紫火星も含んでいたことに。年盤で座っている星が九紫火星だから。
てっきり、九紫火星はじぶんとは縁のない星だと思っていたけれど、よく考えたら、わたしの持つ星の中に、九紫火星のキキメがある部分があったことにも。
九紫火星は、けっしてじぶんに縁のない星というわけではなかったのだ。
そんなことを考えながら、仮吉方宅近辺を歩いていたら、お寺の入り口に並んでいる近日イベント札の中に、「ハサミ供養」を発見っ。
針供養はきいたことがあるけれど、ハサミも供養するのか・・・。
そういえば、日本のオバケには、捨てられた傘とか、しまいこんで使わなくなった楽器が化けたオバケがいるくらいだから。
長く愛用したモノならば、雑に捨てたり、しまいこんだりしないで、ちゃんと供養しなくてはと、日本人は考えたのだろうか。だから針もハサミもこうして供養されている。
針やハサミにオバケになられたら、考えるだに恐ろしいしなあ。

「ハサミ供養」の札を目にし、生涯でいちばん、ハサミについてまじめに考えた。
ハサミは、何かと何かを切り離す道具。
でも、破壊しているわけじゃなくて、なにかを生み出すために、なにかを始めるために、切り離しているのだ。
テープカットは、始まりのしるし。

服についているタグを切り離すと、服の所有がはじまる。
紙を切り刻んで生まれる、舞台に降る粉雪。

髪を切り刻んで生まれる、あたらしいヘアスタイル。
なにかから離れるたびに、人生が発展するという、九紫火星人そのもののような、ハサミ。
ハサミはなにかを傷つける道具ではなくて、なにかを始めるための道具。
それが正しいハサミのありかた・・・。

そういえば、仮吉方宅のマンスリーマンションは、日常的なアイテムは室内にあらかじめセットされているけれど、その中に、ハサミはなくて、入室してすぐに、買いに走ったっけ。やはり、九紫火星との縁を感じるなあ。
この夏、ハサミについて考えたことを、わたしはきっと忘れない。(たぶん)

 

クウ ネル キル

仮吉方には、さまざまなルールがある。
一番プレッシャーが大きいルールは、「仮吉方のあいだ、自宅内と、自宅内にあったものと、自宅周辺1キロ内の飲食禁止」というもの。
飲食とは、口から体内に入れるものすべてなので、薬やサプリメントも含まれる。(塗り薬や目薬は口からじゃないのでOK)
体調が不調のときに、すぐにこれらが手に入らないと、とても困る。
買おうとしたとき入荷待ち、という事態にも遭遇したりするから、前もって手に入れておきたいけれど、自宅には置いておけない・・・手立てを考えた。
過去に起こったさまざまな不調用の薬や、サプリメントを、手に入れてすぐ、封を切らずに、自宅の冷蔵庫に入れずに、勤務先に持っていき、じぶんの机のひきだしに仮吉方が始まるまで保管しつづける。
そして、仮吉方をスタートしたとき、勤務先から仮吉方宅へ、直接持っていった。
これで、それらの薬やサプリメントを口に入れても、「自宅にあったもの」を口に入れることにはならない。
仮吉方が始まったら、できるだけ仮吉方宅内と、その周辺で、飲食をするというのもルール。
この「飲食」と同じルールが、「眠る」ルールにもある。
食べること、眠ること。
このふたつが、生きもののエネルギーの源。
その土地で、このふたつをすることが、その土地に住むこと、生きること、になるんだということが、わかる。
ちなみに「着ること」のルールは、特にない。
しかし、身の回りのものを仮吉方宅に移動させるにあたって、一番かさがあったのが衣類だった。
明日着ていくもの、今週着ていくものを、運びこむ。
仮吉方が始まってしばらくは、休日は、一日に二回往復して自宅から衣類を運び込んだ。
家の中にいるだけなら、食べる、眠る、だけでいいんだけど、外に出るには、着る、が要る。
「衣食住」の「衣」と「食」のあいだには、1本、外側と内側のラインが入っている。ドアが一枚、入っている。