森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

始まりはひとりから

今年に入って出会った「先生」が三人いる。
偶然にも、三人とも「一白水星」(いっぱくすいせい)の人なのだ。
しかも全員年齢がちがう。
九星をひとまわりするには、当然9年必要だから、9年ちがいの、一白水星が三世代そろったことになる。
三人に共通しているのが、「ひとり」で仕事をしていること。
ちょっとしたお手伝いをしてくれるような、アシスタントさん的存在さえいない。
ぜんぶじぶんひとりでこなす。
とても有名な先生もいて、望めばひとり雇うくらい、すぐにでもできるはずなのに、しない。
ひとりで仕事や教室を企業し、ひとりで生徒やお客に対峙する。
どうやら、ひとりでやるのが、つらいことなのではなくて、ひとりでやるほうが、つらくないみたいなのだ。
「仲間を三人集めて企業しよう!」とか、「みんなでお金をだしあってクラウドファンディング」とか、ひとりではできなくてもみんなでやればできるという考え方もあるけれど。
三人の先生を見ていると、みんなよりひとりのほうが楽、ひとりでやるほうがじぶんにとって自然な人が、いるんだと思う。
ひとりでやる強さを、もっているんだと思う。
一白水星の人は、見た目にはそんなに強そうに見えないことが多い。どちらかといえば弱そうに見える。
でも見た目のやわらかさの内側に、強い芯をもっている。
孤独に強く、苦しみに強く、涙を隠し、悩みを隠し、たったひとりでなにかを始める強さをもっている。
始まりを意味する星でもある、一白水星。
始まりは一滴の水から、たったひとりから。
ひとりで初めてひとりで歩んでいく一白水星に、だんだんと支持者が集まっていく。
ひとりですらりと立つ(決して力が入っていない)強さを教えてくれる一白水星と、人生のなかですれちがうたび、はげまされる。

守秘する職業

一昨日が最終出社日だった勤務先の人に、帰り際に挨拶に行くと、いきなり「手相見て!」と両手を差し出されたのでびっくり。
わたしが手相を見せてもらった誰かに聞いたのかな・・・。
雇用継続の人だったので、御年65歳。
この年齢の位置になると、生命線が見えなくなっている場合もある。(決して生命線の長さ=寿命ではない)
こういうときのために、運命線の流年も読みとれるようになっておくべきなんだ!と心中でじぶんに言い聞かせる。
それにしても、65歳で勤務先から去ろうとしている人も、手相にでている、これからの未来はどうなの?とわくわくするものなんだ。
うーん、人生100年時代だ。
先生からは、手相の過去に刻まれた良い線は、そのときにやろうとしていて実行しなかったことを、今からでもやったほうがいいということ、と教わったので、「50歳と52歳でやりたかったことがあれば、今からでもやったほうがいいです!」と伝えると、
「やりたかったことあったけれど・・・うーん、今からだと体力が・・・・」と迷っていた。
わたしは勤務先での交流範囲がとっても狭いけれど、手相を見るときには、かえってそれが幸いしているみたい。
その人の私的な情報を知らないはずなのに、なぜわかるの?と驚かれたり、
線を読んで問いかけていったら、びっくりするような私的な出来事を突然話してくれる人もいて、こっちがええっそんなことが!と驚いたりして、これは守秘しないと信頼を失う!と、早くも鑑定者的「守秘義務」を意識し、もしかして、わたしの交流範囲が狭いから、年取っても非管理職で、上の人のおぼえがめでたいタイプでもない人間だから、信用してくれたのかもしれないなあ、と思う。(他者に情報をもらす可能性が薄いという意味で)
いつまた、突然手相を見てくれと言われるとも限らない、と、帰宅後、教わったことを復習するわたしだった。

君は六白

 

宮里藍の引退理由が「モチベーションの維持の難しさ」と報道されたとき、もしかして・・・と調べたら、やはり六白金星の人だった。
六白金星にとって、モチベーションというのは、とても大事な要素、精神の燃料なのだ。
「モチベーションをキープできる何か」が、常に必要な星、六白。
「夢中になるもの」が必要な星、六白。
それがなければ死んでいるも同然になりかねない星、六白。
ということは、夢中になるものに対しての、正しい選択眼が必要なのも、六白金星である。
そして、ある日突然、すべてを失う星と言われるのも六白金星である。
○スカ、○原和博、○室哲哉、○武洋匡、みんな六白。
六白が強いエネルギーを燃焼させる星だからこそ、夢中になるものの選択を、方向性をまちがえると怖い。
ちなみに、結果が出せなければ、満足感を得られないのも六白。
「モチベーション」と「結果」が得られなければ、去るんだ、六白は、ということをあらためて思い知った、宮里藍の引退だった。良い六白のお手本のような人だ。
追記。
わたしも六白金星だが、じぶんが正しい、じぶんがあたりまえと思っていることが、そうとは限らない、ということが、九星すべてを学んではじめて気がついたのだった。
悪い六白にならないようにするには、謙遜が必要だと思う・・・でも、だまっていられないシチュエーションが、今でも多々ある、はは。修行は続く。

 

ひとりが相手

連休で帰省中に、母と妹の手相を観る。
母の手には、ちゃんと、わたしが生まれたときの線、妹が生まれたときの線が刻まれている。
ひとり目だったせいか、わたしの線のほうがくっきり、はっきりしている。
大変な出来事があったときには、傷ついた線が入っている・・・しかし、両手に男並みの起業線がくっきり。
父が亡きあとも、写真館をきりもりしてきた人だからなあ。
晩年期ゾーンに、しっかりした線が出ているから、長生きするにちがいない、母。
妹の手には、とてもはっきりした長い開運線がぴゅーんと何本か、昇っている。
一本の線は、年齢を問うと、あ、結婚したときだー、という答え。
もう一本の線の年齢を問うと、うーん、あ、姑が亡くなった年だー、という答え。
結婚も、姑の死も、発展的な出来事だったと解釈していいのか・・・。
手相観るの楽しー、しかし、見た後、けっこう疲れる。
一日に何十人も観ている人は、この消耗の度合いを軽くする術を身に着けていないと無理ではないだろうか。
今まで、プライベートでさまざまなことをやってきたけれど、手相観が楽しいのは、相手がいるからだな。
じぶんになにかを反映させようとしてやることは、相手がじぶんになる。(勉強とかスポーツとか)
だれかの創作物(本とか映画とか美術とか)を媒体にして、じぶんになにかを反映させようとすることも、結局相手はじぶんになる。
手相観は、じぶんだけではなくて、だれかがいる。
効率を追求する場合は、「一度に大勢のだれか」が相手じゃないと利益はないということになるんだろう。
「ひとりのだれか」を相手にすることは非効率ということだろうか。
でも「ひとりのだれか」のためにすることは、けっこう楽しい。

二黒の行方

九星の中のひとつ、二黒土星。(じこくどせい)
華やかというより、地味なイメージ。
しかし、地味というのは、信頼される条件のひとつだったりする。
見えないところでもまじめで、コツコツと勉強して、たしかな技術を身につけ、人を育てていくのが、二黒土星の王道。
どの星の人にとっても、大切で、必要な星といわれる。
会社の中でいうと、事務職が二黒土星の象意だ。経理もそうだね。
事務職、いわゆるバックオフィス、後方支援といわれる職務。
この後方支援業務が、どんどん軽視されている気がする・・・。
だれでもできる仕事だろうと思われ、会社の経費や人件費を割くような仕事じゃないだろうと思われ、評価に値しない仕事だろうと思われ、そんな仕事がしたくて入社してきたんじゃない、と思われ。
でもちゃんとした事務ができないと、周囲は迷惑だし、お客さんも迷惑だし、なのにちゃんとした事務ができる人も減っているし、ちゃんとした事務ができる人を育てられる環境もなくなってきているし。
わたしの勤務先って、どんどん二黒土星が崩れはじめているな、とここ数年、思い続けてきたけれど。
わたしの周囲に限ったことではないかもしれない・・・・。
アウトソーシングを専門にする会社で請け負う業務に、二黒土星的な分野が拡がっている。
ひとつひとつの会社内で、二黒土星的なものが生きにくくなって、居場所を失って、育たなくなって、会社は、社外から、二黒土星的なものを買う状態になっていく。
でも、見方を変えればちょっと面白い。
かつて、社外から買ってくる人材というのは、経営のトップになれるような人材だったけれど、真逆の人材を買ってこなければいけない時代になっていくのか。そしてそれは買おうとすると、意外に高かったりする。
ちなみに、経営のトップというのは、九星では、六白金星(ろっぱくきんせい)が担うもの。
じつは、六白金星と二黒土星は、表裏の関係の星なのだ。
六白がきわまると、頂点に達すると、二黒に変ずる。またその逆もあり。
経営トップの値段より、事務職の値段が高くなる時代が来ていたりして?

親指の異変

昨日から土用が始まった。
わたしの場合、春と夏のあいだの土用のときは、口内炎ができることが多い。
先週、歯茎に痛い箇所があったので、そうだ、土用だし!と思って、半年に一回の歯科検診を予約しておいた。
ところが、二日前から、左の親指に異変が。
親指の側面が腫れて、やけどのようなじんじんした痛みで不眠気味。
今回の土用が親指に来るとはーっと、新しい発見をした思いで、でも痛いよーっ、発見するって痛い思いをすることなのねーっと、心中で葛藤しながら、皮膚科へかけこむ。
爪の側面からばい菌が入って、膿んでいたんだって。
抗生剤と塗り薬をもらう。
・・・手指に異変があったときの、手相リーディングのとらえかたを、あてはめてみる。
親指はじぶん。親指になにかあったときは、じぶんに何かがあったと思え。というもの。
左は精神面、右は現実面。
わたしは左の親指だから、精神面、こころの異変だ。
異変といっても、悪いことばかりではない。良いことにつながる異変のしかたもある。
皮がむけてしまったなどの異変は、脱皮願望と見る。
しかし、今回のわたしの親指は、病的だなー、膿みなんて、腐敗だもん。
この4、5日間は、こころに、ばい菌が入って、膿んで、赤く腫れて、痛くてたまらない・・・という状態だったな、たしかに。
皮膚科の先生は、膿みを出したほうが治りが早いから、と診察室で爪際の膿み出しをしてくれた。
さぞかし痛いかと思ったけど、意外に耐えられた。腫れたままのじんじんした痛みのほうがよほどつらかった。
じぶんのこころの膿みを出す・・・これが土用の課題か。

二重生活線ふたたび。

二重生活線に再び遭遇してしまった。
先日、見せてもらった知人の手相に、今度は両手に、くっきりと。
ふたつの居場所を往復する二重生活線。
二重生活とは、自宅と自営の職場との往復か、自宅と親族宅の往復になる線。
でも相手はまだ二十代で、二重生活線が始まるのは五十代だ。
今、わざわざ伝えることではない。この先変化する可能性もあるし。
それに、二十代の知人の手相は、健やかで、しっかり自分の人生を歩もうとしていて、未来の可能性にあふれている手相だった。
二重生活も、たぶんマイナスというよりプラスのかたちであらわれる可能性が高い。
しっかり人生を歩んでいることが、あらわれている手相の持ち主なので、しっかりした答えを求めてくる。
それは何歳から?と具体的なことをどんどん聞かれる。
だから、わたしがこうだなっと思える年代を、えいっと、どんどん伝える。
はぐらかすという答え方をする手相観の人もいると思うけれど、はぐらかされたときのきもちはいいきもちではない、と思う。
どうやらわたしは、はぐらかすという答え方は嫌いらしい。と、こんなところで突如気がつく。日常のシーンでもそうだな。
具体的な部分まで読み取れないと、手相観とはいえないよね。がんばります。