森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

仕事のやりかた

同じ仕事を受けて、同じ結果を出しても、仕事のやりかたはちがう。
人によって、やりかたがちがう。
私がここ二年くらい苦しんでいたのは、前任者の仕事だけではなく、前任者の「仕事のやりかた」もそのまま残されたためだった。
このやりかただと、私にはとても苦しい、ということに悩みつづけていたんだ、と気づいた。
私が苦しまない仕事のやりかたに、変えていく必要がある。
たとえば、目の前に「仕事の指示を待っている人」が全労働日、全労働時間ずっといる。
前任者は、その状態が苦にならなかったらしい。でも私は苦しい。
全労働時間、じぶんのペースで仕事ができないのが、とても苦しい。
だからそのやりかたをなくしてしまうことにした。
目の前にいない人に、まとめて仕事を渡し、その仕事ができあがるまでのあいだ、私はじぶんの仕事をしている。
そういうやりかたに変えることにした。
「仕事の指示を待っている人」とは、派遣スタッフ。
契約書には、派遣先の「指揮命令者」を定める義務がある。
つまり、仕事の指揮命令をしなければ、業務が行えない、じぶんの判断では動けないのが派遣スタッフということ。
派遣会社は、派遣先の人間が、じぶんで指揮命令ができる点を、いいことのようにアピールしているが、とんでもない。
指揮命令の仕事がストレスになることが、どんなに多いか。
相手が人間だから、ヒマにさせてしまうことにも、気をつかうし。
人間ではなく、感情がないものだったら、どんなにヒマにさせても気をつかわなくてすむのに、というこの思いが、人間ではないものによる労働力の需要を生むんだろうか。
入力仕事が9割以上の部署で、入力派遣スタッフゼロにするのは、社内ではじめてのこと。
どうなるかわたしにもわからない。(来月からそうなる)
わたしはじぶんのやりかたで仕事をするだけ。

りすサンタ

週末に友人が自宅に来るので、お菓子を探しに行き、伊勢丹で見かけた西光亭のクッキーを買う。
クリスマス仕様の、サンタクロース服の、りすの絵柄のハコに入ったクッキー。
ハコの可愛さが差別化の勝利。
中身のシンプルなクッキーも美味しいんだけれど。
さまざまな、りすの絵柄のハコが並んだ、クッキー売り場のガラスのショーケースにかぶりつきで選ぶ楽しさ。
りすの絵柄が魅力的じゃないと、この売り方は成立しないから、りすの画家の力が大きい。
マッチ箱のような、小箱サイズもとびきり可愛いなあ。
りすが欲しくて買うのか、クッキーが欲しくて買うのか、もはやわからない。
クッキーが山のように売っている中で、選ぶ決め手になることはたしか。
わたしが選んだ、ハコに描かれたサンタクロース・りすは、肩掛けカバンにヘビを入れているりすで、以前ヘビにかまれた小学生男子が、ヘビをかばんにいれて持ち帰ろうとしたらかまれた、というニュースの解説にびっくりした記憶があるけど、そういうことするんだよ、小学生男子って、と友人と語らいながらクッキーを食べる。
仕事面で悩むわたしに、わたしはじぶんで思っているより100倍も真面目だから、真面目にならない部分をもっと入れたほうがいいよ~、と、友人の職場に数多く存在する「デキない事務職」の話をしてくれる。
何度用紙の枚数を数えても毎回合わない人とか、エクセルのコピー範囲が毎回ズレる人とか、コピーの上下を設定のたびに変えてしまう人とか、それによって毎回、周囲がひっくりかえりそうな事態に陥ることとか。
「デキない事務職」の話は面白い。「デキる事務職」の話は面白くなりにくいけれど。

はぐみ、なごみ。

ハグみじゅうたんを買った。
じゅうたんを買うのは初めてである。
何十年も、フローリングだけで過ごしてきた。
しかし、「ハグみじゅうたん」を知り、ショールームに行き、買ってしまった。
しかし、部屋用のじゅうたんサイズで一番小さなものでも、わたしの部屋に敷いたらクローゼットの扉が開かなくなると気がつき、玄関用Lサイズ(70センチ×110センチ)を二枚購入して、二枚を並べて敷いた。
一枚は蒼と白のグラデーション、もう一枚は薄紫、ピンク、黄色、黄緑、ベージュのグラデーション。
一番値のはる「ており」シリーズ。だって触れ心地と色合いが、他のシリーズとまったくちがったのだ。
紬の着物のような、人工より自然に思い切り針が寄った、攻撃してこない色合い。
自然光の直射日光の下で見たとき、自然光の日陰で見たとき、人工灯で見たとき、毛が立っている方向から見たとき、毛が寝ている方向から見たとき、ぜんぶ色合いが異なる。
一番綺麗なのは、自然光の日陰だなあ。
蒼いじゅうたんの上に座って飲食しながら、薄紫のじゅうたんをぼーっとながめることが多い私なのだけれど、ほとんど、じゅうたんを鑑賞しているような気がする。
鑑賞して、癒されているような、なごんでいるような気がする。
異国のじゅうたんのデザインは、部屋に置いたら浮くかも、落ち着かないかも、と私は感じていたけれど、これは、落ち着きをもたらしてくれる、日本人のためにつくられたじゅうたん。(生産地は異国だけれど)
部屋用サイズのておりシリーズは、若い年代にとっては、給料一か月分の価格なのでは?と思う。
しかし、部屋用サイズのておりシリーズの大部分が、注文が殺到していて制作待ちなんだって!
来年の8月にならないとできあがってこないのに、それでもいいと注文していくお客さんもいるって!
ショールームで聞いた話。)
私が買ったサイズは、需要が少なめのサイズらしく、待つことなく手にはいってしまったが。(わたし、「巨大な玄関サイズじゅうたん」を部屋に敷くという邪道な発想をしたから。)
売れなくて困っている人は多けれど、困るほど売れるってすごいなー。
売れるものは売れるんだ。価格とは関係なく。
じゅうたんを敷き始めて、一年は、遊び毛が出ますよ、と説明された。
気がつくと、白いふわふわした綿毛のようなものが、部屋のあちこちに落ちているようになった。
これが遊び毛かあ。
羊毛じゅうたんなだけに、わたしの部屋にひつじが一匹住んでいるような感じ。

叫び。

7月に、仮吉方に出たときは、出たとたん、身体もこころも健やかに元気だった。毎日楽しかった。
9月末に、仮吉方を終えて、自宅に戻った。この戻りこそが、本当の引越しになるはずなのに。
戻ったとたん、身体もこころもハードなのである。
仕事はどんどん困難事が続いているし、1月以降はもっと困難になる見込みだし、身体もこころもとても健やかとはいえない。
そんな中で迎えた誕生日には、ミッドタウンのイルミネーションを見る。
昨年の誕生日にも、ミッドタウンのイルミネーションを見ながら、来年の誕生日には、わたしは仮吉方を終えて、このイルミネーションを見ている!と誓った。
誓いは果たされた。・・・でも、ハードデイズがつづいている。
じぶんの怒りをおさえなくてはならない出来事があり、それは突発的なものではなく、たぶん少しずつたまっていた忍耐のコップの水が飽和点に達してしまったからなのだが。
とにかく怒りを抑えよう!飲み込もう!と、社屋の階段エリアで、「あなたは最低の上司ー!」と四回叫ぶ。
四回叫んだらおさまったようで、うん、すっきりした♪と戻りかけたら、階段脇の男子トイレから出てきた部長と目が合った・・・。あ。はいっていましたか。
部長は、どんな名役者でもこの表情をつくることはできまい、というような奇妙な表情をしていた。
叫んだ対象は、部長のことではないんだけど。まあ、いいか。とそのまま通り過ぎる。
怒りを消化して、生きていく。最近、胃腸は元気がないんだけれど。

 

太陽は、公平でおおらか

がんばって準備していた仕事があった。
その仕事の主務者は私ではなかった。
というわけで、これ以上私が関わると、でしゃばりになりそうな雰囲気になったので・・・。
今後は手を出さないようにしようと決め、それでも落ち込みと怒りを抱えて、どうやって気持ちを立てなおそう?こういう悔しさは、幾多もの人が味わってきたもののはず。
どういう態度を築いていくべきなのだろう?といろいろ考える。
せっかくなので・・・と易を立てる。
・・・・・・。
とてつもなく良い卦が出ちゃった。
火天大有(かてんたいゆう)。二爻。
こんなに落ち込んでいるときに、なんでこの卦~っ。
てっきり叱られるような卦が出るんじゃないかと思っていたのに、思いがけず、励まされてしまったきぶん。
今までも、たまに火天大有をもらったことがあって、いつも二爻だから、ちゃんと答えられた卦と思っていいはず。
火天大有をもらった人間の態度って?と、また考える。
・・・気にしないことだな。そして、その仕事自体、忘れること。
わたしの手から離れた仕事。そもそも、最初からなかった仕事。そう思えばいい。
がんばりのエネルギーを注ぐ対象は、また別の仕事、別のものに向ければいい。
趣味重視、割り切り社員生活を送る長年の友人の考え方を借りれば、他の人が仕事をやってくれるんなら、ラッキー、どうぞどうぞ!と言いそうである。
火天は、天に輝く太陽。照らすエリアは地球ぜんぶ。ちがう、太陽系ぜんぶじゃん。
太陽のおおらかさを、ひとかけらの光でもじぶんの中に。

植物リンク

最近あらたに見つけて気に入ったカレー店が、「代々木カリー」。
「代々木ビレッジ」の中の一店舗。
代ゼミのほぼ裏に位置する代々木ビレッジは、プラントハンターが集めたユーモラスな樹木と草花が棲む空間に、竹布を使った製品の店とか、バオバブの果肉を練りこんだチーズケーキの店とか、植物のリンクを意識したお店が並んでいる。
カレーだけではなく、この樹木や草花のそばに寄りたくて、足を運んでいるわたしである。
「樹木」や「草花」は、今学んでいることにもやたら登場してくる。
それで以前より、意識が深まっている気がする。
草花は、群れているからこそ元気いっぱい、とか、樹木は枝を切らないと成長しない、とか、湿った土に雨が降り注いでいたら、そこに必要なものは太陽と草花、とか、いっぱい登場してくる。
代々木ビレッジの中の植物に癒されながら、ふむふむ、そのとおりだね、とフィールドワーク的に勉強させてもらっているふうなわたし。
「代々木カリー」は、セットドリンクに「よもぎ茶」を選択できるのが、植物リンクふう。
お散歩休憩中のトイプードル二匹に手を甘噛みしてもらったのも、スイートな思い出。

譲るオトナ

先週のNHK「SONGS」での、井上陽水玉置浩二のデュエット。
井上陽水の小さなしぐさが、とてもいいと思った。
歌いながら、玉置浩二に、お先にどうぞ、アフター・ユー、的な、手の平を差し出すしぐさ。
一番の聴かせどころな部分を、玉置浩二のほうに譲るしぐさ。
歌い手がふたりである限り、戦いのようなデュエットになったり、仲良しのデュエットになったり、いろいろなデュエットの様相があらわれると思うが。
これは、譲り合いのデュエットともいえない。
「譲る側」が決まっている。「譲られる側」が決まっている。
年上の人が年下の人に譲るという様相。
「譲るもの」は、モノより、チャンスのほうが、しっくりくる。
そして、譲る人よりも、譲られた人よりも、譲る人と譲られた人を見ている人が、しあわせになる。
譲る人は余裕があるからこそ、譲る人になれる。
「譲る年上の人」になりたいものである・・・。