森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

曖昧なぶぶん

4月から、勤務先での業務の内容が変わった。
それで、今さらながら、気がついた。
私は、自由に伝えることができないのが、とても苦しい質なんだと。
きちっとしたルールがあって、そのルールを疑ってはいけなくて、ルールの枠からほころばせることができないことが、苦しい。
論理的なのは嫌いじゃないし、自由にルールを作っていいいのならまだ救いがあるんだけれど、法律で決められたことだったりすると、それは無理だ。
紙に書く書類よりデジタル書類が合理的とされるのは、紙は、曖昧なぶぶんをうけとめてしまうけれど、デジタルは曖昧なぶぶんをはじくことができるから。
曖昧なぶぶんは、自由なぶぶんでもある。
曖昧は、希望が生まれるところでも、ある。
自由なぶぶんがあると、そのスペースには希望が育つのだ。
じぶんの言葉で、自由に伝えること。
それができる手相観タイムを持つのは、じぶんの中の曖昧なぶぶんが温められる感じ。