森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

できる理由

久しぶりにピラティスのレッスンを受けに行く。
ここしばらくは、じぶんの体調が乗り切れなくて、通う回数がぐっと少なくなっていたり、レッスンの途中で体力が落ちてしまって苦しくなったりという状態だったんだけれど、今回は、思いがけずじぶんの身体がついていって、きちんとレッスンを行うことができて、達成感を味わう。
久しぶりの達成感のせいか、いろいろとこれまでの、ピラティスのことを振り返って考えた。
たしか、習い始めてから12年目に入った。
市販の本を読んだり、レッスンDVDを見たり、いろいろな教室を巡って、今の教室に落ち着いたのは9年前。
ピラティスには定番のポーズがあって、習い始めた当初は、どうやったらそのひとつひとつのポーズが正確にできるのか、夢中になって、考えていた。
本を読んだりDVDを見たり、単発で個人レッスンを受け付けている教室で、このポーズを教えてほしい!と頼んでレッスンしてもらったりしたこともあったけれど。
その頃に、そんなにまで熱心に取り組んでも、ぜんぜん正しいポーズになっていなかった、と今、はっきりとわかる。
時間が必要だった。
正しい動きができるようになるまでには。
いくら頭で考えても、集中して学んでも、正しいポーズはできていなかった。
そもそも、ひとうひとつのポーズがピラティスの完成型でも目的なのでもなく、いろいろな筋肉が整うようになってきて初めて、さまざまな正しい動きに近づくことができる。
今でも、正しい動きはできていない。
でも、褒められることが次第に増えてきた。
そして、じぶんでも、どうして褒められるような、正しい筋肉の動きができるのかは、わからない。
わからないのだ。これが重要なところ。
この部分の筋肉をこう動かして、という先生の指示に混乱しながら、さんざんじぶんの中で、どうやって動かしたらいいか?と問いかけてきて、考えてきて、動かしてきて、その時間の積み重ね。
その結果、「できる」ようになる。そして、なぜできるのか、じぶんでもわからない。
去年の秋に「日日是好日」の映画を見、原作本を読んで、「お茶」も、もしかしてこういうことなのでは?と思う。
「効率的に短時間で取得する」ことが、どうしてもできないことが、世界にはある。