森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

つまりイメージングなのだ

日曜日は「心と体が喜ぶ癒しフェスティバル」で、手相観をした1日。
参加回数を重ねていくうちに、お客様からの感想の言葉に、似たものがあることに気がついて、
それを紹介文に少しとりいれたりする。
「ていねいに見てくれますね」「細かく見てくれますね」というワードをよくいただく。
それが私の手相観のポイント、いいところなのかも。
いいところは、じぶんではなくて他人のほうが見つけてくれるものなのかも。
それと、今の状況を打開したいけれど、どうすればいいかわからない、じぶんの望みもわからない、でも何もしないままでいたくない、というお客様に、毎回ひとりは必ず出会うことにも気がついた。
そして、そういうお客様には、気学を紹介しておくのがいいと思った。
方位学の類を、忌み嫌う人もいるけれど、方位学は結局「動く」ことを要求されるので、何をすればいいのかわからないけれど、何もしないままでいたくない、という人にはぴったりなのだ。
私がそうだったから。じっとしたまま悩んでいるより、じたばたじたばたしたほうが、気持ちが前向きになる。
キャリアコンサルタントばりに、カウンセリングができる占者もいると思う。
でも、一方で、算命学を学んでいると、ひとつの方法が、誰しもにふさわしいとは限らない、と感じてきている。
そういうときに、気学だと「その人の自覚や欲望とは関係なく、その人に必要な変化」がやってくると思うのだ。
今回の、お隣のブースの方は、チャネラーの方。
「お隣がチャネラー」って、今までの自分には訪れないシチュエーションに出会うのは、感動的で、面白い。
有名な方のようで、「〇〇さんを目当てに来ました!」という常連客が次々と訪れていて、その方に語られる物語にわくわくしているようす。
さまざまな占術は、その人へのさまざまなアプローチ、その人の、さまざまなイメージング。
特殊な才能によるものとはいえない私の手相観は、努力と観察力と伝達力がエネルギー。
でも、その人の物語を描きだしていくという点は、同じなのかも。