森火土金水

手相と九星気学風水について綴っています。 mori ka do gon sui

アンテナ過多

今、三人目の手相観の先生の授業に通っている。
一人目の先生、二人目の先生は、一日で長時間教える授業を数日、というカリキュラムだったけれど、三人目の先生は、一回に二時間の授業を、月に二度、十ヶ月かけて、行う。
三方向から学んで、実占も積んでいくつもりなのである。(すでに実占に踏み切っているが)
三人の先生の、三つの色、三つのかたちは、それぞれ違っている。
一人目の先生からは、周囲をも感動のイメージに巻き込んでしまうような言葉の表現力を見せてもらった。
二人目の先生からは、圧倒的な技術力。この技術をどこまでじぶんも取得していけるか。
三人目の先生からは・・・授業そのものは、一人目の先生と二人目の先生の中庸をいくような内容なのだけど、対話のしかたとか、気づきを少しずつもらっている気がする。
何回も、先生に会いにいく、という授業のスタイルは、ゆっくり育っていくものがあって、ゆっくり気づいていくものがある。
授業の内容が進むたび、先生は、わたしの手相を何度も目にしていて、少しずつコメントをくれる。
授業の回数が多いから、わたしの話しかたも何度も耳にしていて、それにも少しずつコメントをくれる。
わたしの手は、アンテナがたくさん立っているような相で、いろいろなことに感じやすい手相なんだそうだ。
それは活かしかたが悪くでると、悩みすぎる方向に行ってしまいかねないけれど、活かしかたの良い方向を探し当てれば、力になるはずのもの。
わたしは、どうでもいい材料をネタに、とても面白い話ができるから、鑑定のときにもそれを活かしてね、と言われたり。
で、ふと気がついた。今さらながら。
わたしの手相に現れた多すぎるアンテナ、感じやすさ。
この感じやすさは、仕事で、大いに役立っているときもあるけれど(精密さなど)、
仕事仲間に気を使わせてしまう原因になるときも、あるな。あるよ、きっと。
そういうシーンでは、もっとおおらかにかまえたほうがいいな、わたし。
だけど、人を鑑定するときに、この感じやすさは、ものすごく役に立つんじゃないか。そんな気がする。
知り合いを実占していると、もっとわたしのことを話して!もっとわたしのことを語って!というようすが共通しているもの。
勉強はつづく。