森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

無数の道すじ

「相談事と、その解決法」が「読みもの」になっていることがある。
それらを読んで、最近思うようになったのは、「解決法」は、相談者のものではなく、回答者のものなんだな、ということ。
回答者の、いさぎよい感じ、頭脳明晰なところ、人間的な達観ぶり・・・読みものになった回答には、そういった回答者の魅力が染み出てくる。
たださ。
こうしなさい、という回答者の示す道筋が、相談者にふさわしいものとは、限らないのではないだろうか?
相談者にとっては、回答者の魅力あふれるガイドに従おうとしても、それは、無理して似合わない服を着る、無理して似合わない行動をとるような、ぶれが生じることもあるのではないだろうか?
ほおお、この人の回答はすばらしい、と以前は感心して、楽しんで、読んでいたけれど、学びつづけていると、変わる。
「じぶんの家族に、じぶんを出せない人っているんですか?」
と、先日、手相を見せてもらった人に不思議そうに聞かれた。
その人は、じぶんの家族からたっぷりエネルギーをもらえる手相を持っていて、家族にじぶんをたっぷり表現できるようすも手に表れていた。
「もちろん。じぶんの家族にじぶんを出せない人って、いますよ。(むしろ他人のほうが、じぶんを出しやすい人も)」
と答えるわたし。
じぶんの家族にじぶんを出せないようすがあらわれていたら、そのままでいい。そう思う。
それがその人の道すじ。家族の中より他人の中で生きると生き生きする人のはず。
家族にじぶんを出せないなら、こうやって解決しましょう、というガイドはその人の道すじではない。道すじは無数。