森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

二重生活

手相を学んでいる、と言ったら、友人がさっそく手を見せてくれた。
手の中に、はっきりした特徴的な線があって、それは、生命線が、中年をすぎてから増強されている線だと思って、そう伝えた。
その一週間後に、その線は、「二重生活線」であるという情報が偶然入る。
しかも、教科書通りの綺麗な二重生活線だったんだなあ、友人のは。
しかし、友人にそれを追伸として伝えるべきかどうかについては、悩み、見送ることにする。
二重生活線は、行き来する場所を、ふたつ持った生活をするという線。
それは「家庭と仕事場(ただし自営の)」かもしれないし、「嫁ぎ先と実家」なのかもしれない。
前者はともかく、後者は、人によって受け止め方が微妙な気がする。
手を見せるときは、とってもどきどきする。
それは、怖いどきどきというより、楽しいどきどき。
じぶんの手の上には、きっと素敵なものが示されているはず、という期待のどきどき。
二重生活線が、友人にとって素敵なものであると確信できない段階では、伝えるときではないんだろう。
わたし自身「三十歳までは精神的に故郷と家族にひっぱられつづけていたけれど、その後じぶんの人生を歩けるようになりましたね~」(ちゃんとそういう線のかっこうになっていた)と言われたときは、嬉しかったもの。
これがもし、「ひっぱられつづけている最中」にある段階にそういわれちゃったら、落ち込んだと思う。
「過去」になってしまった段階で、伝えられたら、笑える。
素敵なものは、「いま」と「さき」にある。手相に限らず。