森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

好きなものを持ち(待ち)つづける

じぶんの好きなものが、どんどん変わり続けていくなかで、残り続けるものもある。
本棚の本を何度も処分しつづけていく中で、生き残ってきた本みたいに。
先週見に行ったミュージカル「レント」もそう。
月に1回程度、ミュージカルを見に行った期間もあったけれど、今ではすっかりその日々からは遠い。
でも、「レント」だけは、日本に来たと聞くと、見に行っている。
常に来日情報をチェックしたり、発売初日にチケットを獲得するような熱情はなく、「レントが来てる」と知るのが初日の一週間前、電車内広告で、なんていうゆるさだけれど。
1997年にニューヨークまで行って、最初の「レント」を見た。
その後は、日本に来日したら、見に行っていた。
CDをさんざん聴いたので、どこでどんな曲がくるかもすっかりそらんじている。
前方の席でなくとも、端っこの席でも、後ろの席でも、満足になった。
「レント」に出会って、21年たって、さまざまな年に何度も「レント」を見て、そしていつも、同じ場所で涙が流れる。
じぶんの感覚の正常さを確認するテストみたいだ。
携帯がない時代のレント、ミレニアム(2000年)を迎える前のレント。
でも、古くない。
お母さんからの留守電がうざいと思う若者たちの気持ち、わかるわかる。
じぶんたちと同じボヘミアン的感性をもつ芸術家たちの名前を連ねていくナンバー「ラ・ヴィ・ボエーム」の中で、「クロサワ」(黒澤明)が入っていることへの、日本人として、きらめく誇り。
「レント」の舞台の人物たちの、生への希求は、今でも同じように、こころを打たれる。
観客席はぎっしりと埋まっているし、観客もおおもりあがりだから、この先も、ときおり日本に来ることがあるはず。
次にいつ会えるかわからなくても、好きなものは変わらず好きだ。
・・・これって長年の友人のような感覚かも。

気になるから。

昨日は、横浜方面のフェスティバルに手相観として参加。
・・・・お客さまが少なかった。
これが、先生の言っていた、「お客さんは来るときは来るけれど、来ないときはぜんぜん来ない」ということか。
他の出展者さんから、いつもはこんなに少なくないですよ~と言われたので、
フェスティバル全体の入場者数が少ない日だったのかも。
とはいえ、初めて手相をみてもらうというお客様がふたり来てくれたり、
四十歳以降に、いい線が何本も伸びているのが面白い手相もあったり、
結婚の線の年齢はどう見積もってもこの年齢だからそう伝えると、
もう一年早くなりませんか~と言われたりで、楽しかった。
(結婚線の場合はこう聞かれることが多い・・・)
今回のお隣の出展者はカードリーディングの方で、どんどん喋っていくその方の仕事の仕方が、伝わってくるのも、また面白かった。
お隣にやってくるお客さんが、選んだ理由に「なんだか気になって」と伝えているのも、面白い発見だった。
「なんだか気になって」という選択理由は、前回の浅草のフェスティバルに参加したとき、わたしも、お客様のひとりに言われたから。
「なんだか気になるから」という基準で、選択するんだなあ、面白い。
モノとちがって、サービスだから、無形のもので目に見えないし、フェスティバルだから、超有名なネームバリューがある人が来ているわけでもないから、一般的な評価のものさしもない。
そういう場合は、じぶんの直感に従って選ぶんだ。
いずれにしても、わたしとしては、あたらしく遭遇する「なんだか気になって」の使われ方である。
何かをするとか、買うとか、選ぶとかするときに、「なんだか気になって」だけで、どんどん行けそうである。
チャンスの女神の前髪をつかめ、というのは、チャンスの女神に後ろ髪はないから。
(後ろ髪のくだりは、byレオナルド・ダ・ヴィンチ
グラフも数値もプレゼン資料もけっとばし、前にすすめばいいのだ。気になるから。

病の休日

こんなに咽喉が痛くなるのは久しぶりでは?という驚きで目覚めた。

唾液を飲み込むだけで咽喉がひりひりと痛い。これが咽喉風邪というやつだろうか、と体温計でチェックしてみると、発熱はまったくない。

体調が悪い休日は安静にしているのが一番だけれど、熱がないのだから、やっておきたいことだけでもやっておこう、と決心。

洗濯をし、室内物干しに干して除湿機をスイッチオン。梅雨時にはそぐわなくなってきた羊毛じゅうたん(ミニサイズ)に掃除機をかけ、くるくる巻いて椅子の上に横たえる。(たぶん秋までこの位置)代わりに麻のじゅうたん(ミニサイズ。新品)をとりだして敷き変える。簡単にお風呂掃除とトイレ掃除と流しの排水口掃除。

咽喉が痛いけれど美味しいものを食べたかったのと、体はだるいものの気晴らしになるかと思い、外苑前のcitronにランチのテイクアウトに出かける。

お店で食べますか~と明るいフランス人店主に問われて「持ち帰りで」と言ったつもりが、ぜんぶの文字に濁点がついている感じになって、ぜんぜん店主に伝わっていないので「テイクアウト」と言い換えたら通じる。

キッシュセットにレモンタルトつきで注文して、できあがりを待っていると、足元に何か触れる・・・大興奮状態のフレンチブルドッグだ~かわいーっつ。このこが店の看板犬にちがいない。(たぶん名前はレイモンド)このこの顔絵は何回も目にしていたけれど、本物に会うのは初めて。日曜日は犬の入店OKだから、今日はこのこも店内を走り回っているんだ~。手をなめてもらって背中もなでなでさせてもらったが、レイモンドの興奮はおさまらず、二階の飲食スペースにつづく階段をすごい勢いで走り昇っていってしまった。(店主が止める声にもふりむかずに)

レイモンド、かわいかったな~出かけてよかった~とほくほくしながら、自宅でランチをしたり勉強したり昼寝をしたり。

4月から勤務先の配属先が変り、どう考えても勉強が必要だなという思いが日に日に強くなり、勉強を開始することにした。

それがさ。

気学も算命学も手相も、早く知りたい!もっと知りたい!と、周囲が心配するほど根をつめて夢中になって勉強していたのに、これは。

勉強って苦しさも不安も伴うことだったことを、思い出させる、これは。

ここ何年か、娯楽になる勉強ばかりやってきて、娯楽にならない勉強もあるんだってこと、忘れてた。

その日、そのときにできる部分をまめまめしく学んでいくしかない。効率の良さとか勝利の方程式なんて、通用しない。ただくりかえし学んでいくだけ。

しかし咽喉痛が去らない~、とひきだしの中を捜索したら、風邪で処方された薬の残りを発見。(咽喉風邪じゃなく胃腸風邪のときだけど)

この薬、のんでおくことにしよ。

東京湾でクジラが目撃」という夕方のニュースに、薬ではなく動物に癒しもらった1日だったかも、と思う。クジラが双葉のかたちのしっぽを、東京湾の海にくぐらせて泳いでいるニュース映像を見て、思う。

 

 

 

世界の広さ

5月から6月に移る時期に、いくつかの出来事があった。

5月終わりには、二回目の参加となる「心と身体が喜ぶ癒しフェスティバル」で手相観。初回より目立たない席位置だったので、お客は減るだろうなと覚悟していたけれど、終わってみたら、初回と同じ人数だった。男女比も同じくらい。新参者枠での参加は今回が最後となるので、出展料増につき、次回からは鑑定価格が500円ではなく、相場価格となる。これからますます、利益のためというより修行のために、さまざまな手相に出会いに行こう。

手相観をしていたその日の夜、気学の師匠がお亡くなりになった。

通夜と葬儀が行われる一週間後の6月最初の土日、わたしはなんの予定も入っていない休日で、なんの予定もない休日があるのっていいなあ、と思っていたら、見事に予定が入った。先生にお別れをしにいくんだ、と通夜へ行く。長蛇の列ができていたその葬儀は、1000人を越える参列者だったそうだ。国内からだけでなく、国外からもかけつけた参列者はみな、先生にお会いしたことがあるはず。映像や書籍だけではなく、生身の先生に。

生身のお客さんを連れてくるのは、生身のお客さんですよ、と手相の先生に教わったけれど、気学の師匠の生身の生徒を増やしたのも、生身の生徒だったはずだから。

気学や算命学や手相観のようなことを、露骨に見下し馬鹿にする知り合いもいる。大切な知り合いに対しては、だまって二度とその話題に触れない。そうでない知り合いとは会うのをやめた。

世界をひろげてくれる、と伝えても、信じてくれないだろう。じぶんで世界を狭めると、いつしか傲慢になってしまうことがあって、その中でつくられたプライドは、たぶんコチコチに固いのだ。

やわらかいプライドを。草花のようにやわらかいプライドなら、折れずに済む。

 

 

 

 

働く場所

今月は、異動前と異動後の、両方の職場を行ったり来たりする日々である。

前の職場のフロア全体のレイアウト変更が行われて、もう私には何の口出しもできないけれど、そのありさまに、心中密かに、がっかりしてしまう。

私が携わっていた業務の内容は、上の人たちには理解されていなかったんだなあ、というレイアウトになっていた。あるいは軽視されていたというべきか。

異動が決まったとき、業務に関わっていた人たち全員から惜しまれ、寂しがられたと思うけれど。

業務についての、理解度とか、思われ度の、低さを感じつづけて、それで私はずっとがっかりしていたんだなあ、と、新レイアウトに遭遇したとたんに、気づいた。

「働く場所」は、「働く内容」に比べれば、どうでもいいことなのかもしれない。

でも、与えられた働く居場所のありようが、働く人のこころを傷つけることだってある。まちがいなく。

異動することができて良かったんだ、と、じぶんのこころに再確認させる。

…昨夜、家族から連絡があって、わたしが家相の面から、いろいろ提案をしたことを予算が許すかぎり取り入れて建設した、親族経営のオフィスが完成し、明日は内覧会をするとのこと。5月の連休帰省時に、わたしにも見せてくれるそうだ。

日当たりの悪い北西に、社長や上層部の部屋が集中し、日当たりのよい南東は、会議室とか休憩スペースとか、社員誰でも使用できるスペースになっているオフィス。

最初は、南東を上層部が陣取るかたちだった設計図の真逆の提案を、みごとに取り入れてくれた。

上に立つ人ほど影にいろ、というのが、家相の、易の鉄則だから、これでいいはず。

うーん、もしもこのオフィスが発展していかなかったら、わたしの責任かも…。(汗)

 

 

仮吉方効果?

異動希望を出したとたん、思いがけずそれが叶って、異動先の部署まで希望通りだったこと。

もしかしてこれは、2017年9月に達成した、仮吉方の効果なのだろうか?と思う。

ただ、2017年7月からの、約三ヶ月の仮吉方先も、たまたま吉方だったので、今、その効果がまず出ているといえなくもない。

わずかだけれど、三ヶ月分の、四緑木星と、二黒土星と、九紫火星の吉効果があらわれるとしたら、それらの星が中央に位置したとき。

2018年、中央に座しているのは、九紫火星だ。

何かと離れることで、何かを手に入れる星。

ハサミで何かを切るのは、必ず、何かを崩壊するためではなくて、何かを始めるため、何かを生み出すためであるように。(ただそのためには、何かを「切り離す」ことが必要なのである)

長期間携わっていた業務から離れて、未知の業務への異動を希望したわたしに、九紫が作用したといえなくもない。

こういうときは「サイン」が現れていないか、注意してみる。わかりやすいサインは「数字」だ。

先週、買い物をした店舗で会員カードをつくったとき、与えられた会員番号を見てみると、それは、九紫火星の数字だった。やっぱり九紫なのかな。

でも、今日、入った店舗でつくった会員カードの番号は、2017年9月から始まった吉方位的。うーむ、両方効いているのか、吉方効果のバトンタッチが始まったのか。

 

ふたつあるもの

耳がふたつあるのは、同時にふたつのことを聞き、目がふたつあるのは、同時にふたつのことを見るためなのでは。
体調を崩して、診察を受けにいった病院で、そんなことを思った。
医師に病状を説明するときに、「病状」のことだけを聞き、見ている医師もいれば、「病状」とともに、「わたし」を聞き、見ている医師もいる。
それは「人間」を見て、聞いていることにほかならない。
わたしが語っているのは病状のことだけ。その内容もすべて頭に入れたうえで、わたしのきもちやありようを聞き、見る。
医師じゃなくても、これが自然にできる人がいる。
視点の基点が、ぶれずに、自然に「人間」に行くひと。

わたしもふたつの耳とふたつの目をもつひとになりたい。
・・・今月に入って、しばらくしてから、来月からの、異動の告知があった。
異動を希望したけれど、今回は無理かな、と思っていたところに。
今までやってきた仕事を殆どすべて捨てて、まったくちがう仕事を始めることになる。
関わっている人たちは、わたしがいなくなることに、半泣きのような状態で、そのようすに触れると、わたしも半泣きのような状態で。
でも、ちがうことを始めたほうがいいときだと、何度も何度もじぶんに言い聞かせた。
一年で一番多忙な時期の中で、疲労と涙と期待がにじむ、三月。