病の休日
こんなに咽喉が痛くなるのは久しぶりでは?という驚きで目覚めた。
唾液を飲み込むだけで咽喉がひりひりと痛い。これが咽喉風邪というやつだろうか、と体温計でチェックしてみると、発熱はまったくない。
体調が悪い休日は安静にしているのが一番だけれど、熱がないのだから、やっておきたいことだけでもやっておこう、と決心。
洗濯をし、室内物干しに干して除湿機をスイッチオン。梅雨時にはそぐわなくなってきた羊毛じゅうたん(ミニサイズ)に掃除機をかけ、くるくる巻いて椅子の上に横たえる。(たぶん秋までこの位置)代わりに麻のじゅうたん(ミニサイズ。新品)をとりだして敷き変える。簡単にお風呂掃除とトイレ掃除と流しの排水口掃除。
咽喉が痛いけれど美味しいものを食べたかったのと、体はだるいものの気晴らしになるかと思い、外苑前のcitronにランチのテイクアウトに出かける。
お店で食べますか~と明るいフランス人店主に問われて「持ち帰りで」と言ったつもりが、ぜんぶの文字に濁点がついている感じになって、ぜんぜん店主に伝わっていないので「テイクアウト」と言い換えたら通じる。
キッシュセットにレモンタルトつきで注文して、できあがりを待っていると、足元に何か触れる・・・大興奮状態のフレンチブルドッグだ~かわいーっつ。このこが店の看板犬にちがいない。(たぶん名前はレイモンド)このこの顔絵は何回も目にしていたけれど、本物に会うのは初めて。日曜日は犬の入店OKだから、今日はこのこも店内を走り回っているんだ~。手をなめてもらって背中もなでなでさせてもらったが、レイモンドの興奮はおさまらず、二階の飲食スペースにつづく階段をすごい勢いで走り昇っていってしまった。(店主が止める声にもふりむかずに)
レイモンド、かわいかったな~出かけてよかった~とほくほくしながら、自宅でランチをしたり勉強したり昼寝をしたり。
4月から勤務先の配属先が変り、どう考えても勉強が必要だなという思いが日に日に強くなり、勉強を開始することにした。
それがさ。
気学も算命学も手相も、早く知りたい!もっと知りたい!と、周囲が心配するほど根をつめて夢中になって勉強していたのに、これは。
勉強って苦しさも不安も伴うことだったことを、思い出させる、これは。
ここ何年か、娯楽になる勉強ばかりやってきて、娯楽にならない勉強もあるんだってこと、忘れてた。
その日、そのときにできる部分をまめまめしく学んでいくしかない。効率の良さとか勝利の方程式なんて、通用しない。ただくりかえし学んでいくだけ。
しかし咽喉痛が去らない~、とひきだしの中を捜索したら、風邪で処方された薬の残りを発見。(咽喉風邪じゃなく胃腸風邪のときだけど)
この薬、のんでおくことにしよ。
「東京湾でクジラが目撃」という夕方のニュースに、薬ではなく動物に癒しもらった1日だったかも、と思う。クジラが双葉のかたちのしっぽを、東京湾の海にくぐらせて泳いでいるニュース映像を見て、思う。
世界の広さ
5月から6月に移る時期に、いくつかの出来事があった。
5月終わりには、二回目の参加となる「心と身体が喜ぶ癒しフェスティバル」で手相観。初回より目立たない席位置だったので、お客は減るだろうなと覚悟していたけれど、終わってみたら、初回と同じ人数だった。男女比も同じくらい。新参者枠での参加は今回が最後となるので、出展料増につき、次回からは鑑定価格が500円ではなく、相場価格となる。これからますます、利益のためというより修行のために、さまざまな手相に出会いに行こう。
手相観をしていたその日の夜、気学の師匠がお亡くなりになった。
通夜と葬儀が行われる一週間後の6月最初の土日、わたしはなんの予定も入っていない休日で、なんの予定もない休日があるのっていいなあ、と思っていたら、見事に予定が入った。先生にお別れをしにいくんだ、と通夜へ行く。長蛇の列ができていたその葬儀は、1000人を越える参列者だったそうだ。国内からだけでなく、国外からもかけつけた参列者はみな、先生にお会いしたことがあるはず。映像や書籍だけではなく、生身の先生に。
生身のお客さんを連れてくるのは、生身のお客さんですよ、と手相の先生に教わったけれど、気学の師匠の生身の生徒を増やしたのも、生身の生徒だったはずだから。
気学や算命学や手相観のようなことを、露骨に見下し馬鹿にする知り合いもいる。大切な知り合いに対しては、だまって二度とその話題に触れない。そうでない知り合いとは会うのをやめた。
世界をひろげてくれる、と伝えても、信じてくれないだろう。じぶんで世界を狭めると、いつしか傲慢になってしまうことがあって、その中でつくられたプライドは、たぶんコチコチに固いのだ。
やわらかいプライドを。草花のようにやわらかいプライドなら、折れずに済む。
働く場所
今月は、異動前と異動後の、両方の職場を行ったり来たりする日々である。
前の職場のフロア全体のレイアウト変更が行われて、もう私には何の口出しもできないけれど、そのありさまに、心中密かに、がっかりしてしまう。
私が携わっていた業務の内容は、上の人たちには理解されていなかったんだなあ、というレイアウトになっていた。あるいは軽視されていたというべきか。
異動が決まったとき、業務に関わっていた人たち全員から惜しまれ、寂しがられたと思うけれど。
業務についての、理解度とか、思われ度の、低さを感じつづけて、それで私はずっとがっかりしていたんだなあ、と、新レイアウトに遭遇したとたんに、気づいた。
「働く場所」は、「働く内容」に比べれば、どうでもいいことなのかもしれない。
でも、与えられた働く居場所のありようが、働く人のこころを傷つけることだってある。まちがいなく。
異動することができて良かったんだ、と、じぶんのこころに再確認させる。
…昨夜、家族から連絡があって、わたしが家相の面から、いろいろ提案をしたことを予算が許すかぎり取り入れて建設した、親族経営のオフィスが完成し、明日は内覧会をするとのこと。5月の連休帰省時に、わたしにも見せてくれるそうだ。
日当たりの悪い北西に、社長や上層部の部屋が集中し、日当たりのよい南東は、会議室とか休憩スペースとか、社員誰でも使用できるスペースになっているオフィス。
最初は、南東を上層部が陣取るかたちだった設計図の真逆の提案を、みごとに取り入れてくれた。
上に立つ人ほど影にいろ、というのが、家相の、易の鉄則だから、これでいいはず。
うーん、もしもこのオフィスが発展していかなかったら、わたしの責任かも…。(汗)
仮吉方効果?
異動希望を出したとたん、思いがけずそれが叶って、異動先の部署まで希望通りだったこと。
もしかしてこれは、2017年9月に達成した、仮吉方の効果なのだろうか?と思う。
ただ、2017年7月からの、約三ヶ月の仮吉方先も、たまたま吉方だったので、今、その効果がまず出ているといえなくもない。
わずかだけれど、三ヶ月分の、四緑木星と、二黒土星と、九紫火星の吉効果があらわれるとしたら、それらの星が中央に位置したとき。
2018年、中央に座しているのは、九紫火星だ。
何かと離れることで、何かを手に入れる星。
ハサミで何かを切るのは、必ず、何かを崩壊するためではなくて、何かを始めるため、何かを生み出すためであるように。(ただそのためには、何かを「切り離す」ことが必要なのである)
長期間携わっていた業務から離れて、未知の業務への異動を希望したわたしに、九紫が作用したといえなくもない。
こういうときは「サイン」が現れていないか、注意してみる。わかりやすいサインは「数字」だ。
先週、買い物をした店舗で会員カードをつくったとき、与えられた会員番号を見てみると、それは、九紫火星の数字だった。やっぱり九紫なのかな。
でも、今日、入った店舗でつくった会員カードの番号は、2017年9月から始まった吉方位的。うーむ、両方効いているのか、吉方効果のバトンタッチが始まったのか。
ふたつあるもの
耳がふたつあるのは、同時にふたつのことを聞き、目がふたつあるのは、同時にふたつのことを見るためなのでは。
体調を崩して、診察を受けにいった病院で、そんなことを思った。
医師に病状を説明するときに、「病状」のことだけを聞き、見ている医師もいれば、「病状」とともに、「わたし」を聞き、見ている医師もいる。
それは「人間」を見て、聞いていることにほかならない。
わたしが語っているのは病状のことだけ。その内容もすべて頭に入れたうえで、わたしのきもちやありようを聞き、見る。
医師じゃなくても、これが自然にできる人がいる。
視点の基点が、ぶれずに、自然に「人間」に行くひと。
わたしもふたつの耳とふたつの目をもつひとになりたい。
・・・今月に入って、しばらくしてから、来月からの、異動の告知があった。
異動を希望したけれど、今回は無理かな、と思っていたところに。
今までやってきた仕事を殆どすべて捨てて、まったくちがう仕事を始めることになる。
関わっている人たちは、わたしがいなくなることに、半泣きのような状態で、そのようすに触れると、わたしも半泣きのような状態で。
でも、ちがうことを始めたほうがいいときだと、何度も何度もじぶんに言い聞かせた。
一年で一番多忙な時期の中で、疲労と涙と期待がにじむ、三月。
観察と真心
手相観デビューをした昨日、日曜日。
会場では、開始前に、出展者が集まって、3.11の黙祷をする。
160名以上の出展者の中には、セラピストやサイキッカーや透視者などが大勢いることを思うと、この黙祷のパワーも、特別に濃いのではないかと思いつつ。
その前夜に、心構えの易を立ててみた。
出た卦は、風地観(ふうちかん)。
不思議な卦だ。解釈が謎の卦。悪いわけではないけれど、すごく良いというわけでもない卦。
主役でも悪役でもなく、脇役で目立たず、出番も少ないけれど、演技者からは、演じたくて人気のある役柄みたいな感じの卦。
あまりもらったことのない卦だったので、なんでこの卦が出たのか謎で、易経の解説書を読む。
熟考と観察の卦。
じっくりと観察し、真心をもって判断せよ。あ、すごい、そのとおりだ。
手相の先生からは、お客は来るときは来るけれど、来ないときはぜんぜん来ないから、お客ゼロじゃなければいいと思って、そしてお客が来たら、真心を持って鑑定しなさい、とアドバイスをもらっていた。
幸運や成果や情熱や苦悩とは無縁の卦、風地観が出たことが、とてもしっくりくる。
必要なことは、観察と真心。それだけでいいんだ。
この先、また「風地観」の卦をもらうこともあるだろうけれど、この夜の「風地観」は、わたしの中で、一番記憶に残る「風地観」かもしれない。
そしてそして。
手相観デビューの一日を終えた。
新参者出展枠価格、500円が効いたのか、途中から数えるのをやめたけれど、観たのはたぶん17名。
13名観終えたころ、先生が、出展している生徒たちをたずねてきてくれた。みな盛況なようすとのこと。
先生いわく今日は「お客が来る日」だったらしい。そういう日にデビューできて良かったーっ。
10時半から17時まで、飲みものだけで、食べものいっさいなしで通してしまい、疲労困憊しながら帰宅する。
占い慣れしているお客さんが多かったから、実力を測られているような気がしたこともあったけれど、夢中で観つづけていたので、好評だったのかどうかはよくわからないけど、やりとげたのが嬉しい。
疲労困憊しながら眠りについた、その夜の夢に登場したのは、なぜか、ジャガー柄の子猫。
片手で子猫を抱き上げると、私のひじを鉄棒代わりに、子猫がくるりくるりと大車輪を始める夢。
めちゃんこキュートな風景だった。ごほうびかな。
お隣は透視者
手相観を出展するフェアの、ブース位置のお知らせが来た。
ブースナンバーの末尾がわたしのラッキーナンバーなのが、ちょっと嬉しい。
ご近所の出展者も、見てみる。
同じジャンルが隣り合わないように、工夫を重ねている感じがする。
わたしの隣は透視者の人か、ふーん。
・・・なんだか、面白くて笑いがこみあげてきた。
お隣は透視者。
こんなシチュエーションがわたしの人生に登場するなんてっ。
想像だにしなかった、シチュエーション。スターウォーズな気分。
想像できることは夢じゃない。
わたしの夢は、人類の夢は、地球の夢は・・・幾多の予想が語らわれても、それは夢じゃない。
だれも想像ができないことが夢。
→3/11(日) 浅草のこちらのフェアに参加。出展名は「手相のすすめ。」
http://iyashifes.com/tokyo35