森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

仮吉方効果?

異動希望を出したとたん、思いがけずそれが叶って、異動先の部署まで希望通りだったこと。

もしかしてこれは、2017年9月に達成した、仮吉方の効果なのだろうか?と思う。

ただ、2017年7月からの、約三ヶ月の仮吉方先も、たまたま吉方だったので、今、その効果がまず出ているといえなくもない。

わずかだけれど、三ヶ月分の、四緑木星と、二黒土星と、九紫火星の吉効果があらわれるとしたら、それらの星が中央に位置したとき。

2018年、中央に座しているのは、九紫火星だ。

何かと離れることで、何かを手に入れる星。

ハサミで何かを切るのは、必ず、何かを崩壊するためではなくて、何かを始めるため、何かを生み出すためであるように。(ただそのためには、何かを「切り離す」ことが必要なのである)

長期間携わっていた業務から離れて、未知の業務への異動を希望したわたしに、九紫が作用したといえなくもない。

こういうときは「サイン」が現れていないか、注意してみる。わかりやすいサインは「数字」だ。

先週、買い物をした店舗で会員カードをつくったとき、与えられた会員番号を見てみると、それは、九紫火星の数字だった。やっぱり九紫なのかな。

でも、今日、入った店舗でつくった会員カードの番号は、2017年9月から始まった吉方位的。うーむ、両方効いているのか、吉方効果のバトンタッチが始まったのか。

 

ふたつあるもの

耳がふたつあるのは、同時にふたつのことを聞き、目がふたつあるのは、同時にふたつのことを見るためなのでは。
体調を崩して、診察を受けにいった病院で、そんなことを思った。
医師に病状を説明するときに、「病状」のことだけを聞き、見ている医師もいれば、「病状」とともに、「わたし」を聞き、見ている医師もいる。
それは「人間」を見て、聞いていることにほかならない。
わたしが語っているのは病状のことだけ。その内容もすべて頭に入れたうえで、わたしのきもちやありようを聞き、見る。
医師じゃなくても、これが自然にできる人がいる。
視点の基点が、ぶれずに、自然に「人間」に行くひと。

わたしもふたつの耳とふたつの目をもつひとになりたい。
・・・今月に入って、しばらくしてから、来月からの、異動の告知があった。
異動を希望したけれど、今回は無理かな、と思っていたところに。
今までやってきた仕事を殆どすべて捨てて、まったくちがう仕事を始めることになる。
関わっている人たちは、わたしがいなくなることに、半泣きのような状態で、そのようすに触れると、わたしも半泣きのような状態で。
でも、ちがうことを始めたほうがいいときだと、何度も何度もじぶんに言い聞かせた。
一年で一番多忙な時期の中で、疲労と涙と期待がにじむ、三月。

観察と真心

手相観デビューをした昨日、日曜日。
会場では、開始前に、出展者が集まって、3.11の黙祷をする。
160名以上の出展者の中には、セラピストやサイキッカーや透視者などが大勢いることを思うと、この黙祷のパワーも、特別に濃いのではないかと思いつつ。
その前夜に、心構えの易を立ててみた。
出た卦は、風地観(ふうちかん)。
不思議な卦だ。解釈が謎の卦。悪いわけではないけれど、すごく良いというわけでもない卦。
主役でも悪役でもなく、脇役で目立たず、出番も少ないけれど、演技者からは、演じたくて人気のある役柄みたいな感じの卦。
あまりもらったことのない卦だったので、なんでこの卦が出たのか謎で、易経の解説書を読む。
熟考と観察の卦。
じっくりと観察し、真心をもって判断せよ。あ、すごい、そのとおりだ。
手相の先生からは、お客は来るときは来るけれど、来ないときはぜんぜん来ないから、お客ゼロじゃなければいいと思って、そしてお客が来たら、真心を持って鑑定しなさい、とアドバイスをもらっていた。
幸運や成果や情熱や苦悩とは無縁の卦、風地観が出たことが、とてもしっくりくる。
必要なことは、観察と真心。それだけでいいんだ。
この先、また「風地観」の卦をもらうこともあるだろうけれど、この夜の「風地観」は、わたしの中で、一番記憶に残る「風地観」かもしれない。
そしてそして。
手相観デビューの一日を終えた。
新参者出展枠価格、500円が効いたのか、途中から数えるのをやめたけれど、観たのはたぶん17名。
13名観終えたころ、先生が、出展している生徒たちをたずねてきてくれた。みな盛況なようすとのこと。
先生いわく今日は「お客が来る日」だったらしい。そういう日にデビューできて良かったーっ。
10時半から17時まで、飲みものだけで、食べものいっさいなしで通してしまい、疲労困憊しながら帰宅する。
占い慣れしているお客さんが多かったから、実力を測られているような気がしたこともあったけれど、夢中で観つづけていたので、好評だったのかどうかはよくわからないけど、やりとげたのが嬉しい。
疲労困憊しながら眠りについた、その夜の夢に登場したのは、なぜか、ジャガー柄の子猫。
片手で子猫を抱き上げると、私のひじを鉄棒代わりに、子猫がくるりくるりと大車輪を始める夢。
めちゃんこキュートな風景だった。ごほうびかな。

お隣は透視者

手相観を出展するフェアの、ブース位置のお知らせが来た。
ブースナンバーの末尾がわたしのラッキーナンバーなのが、ちょっと嬉しい。
ご近所の出展者も、見てみる。
同じジャンルが隣り合わないように、工夫を重ねている感じがする。
わたしの隣は透視者の人か、ふーん。
・・・なんだか、面白くて笑いがこみあげてきた。
お隣は透視者。
こんなシチュエーションがわたしの人生に登場するなんてっ。
想像だにしなかった、シチュエーション。スターウォーズな気分。
想像できることは夢じゃない。
わたしの夢は、人類の夢は、地球の夢は・・・幾多の予想が語らわれても、それは夢じゃない。
だれも想像ができないことが夢。

→3/11(日) 浅草のこちらのフェアに参加。出展名は「手相のすすめ。」
http://iyashifes.com/tokyo35

デビュー準備

手相観デビューが決まった。
ダメモトで出展枠のキャンセル待ちを申し込んでいたフェアから、キャンセル枠が出たとの知らせ。
初参加者と二回目の参加者が出展可能な、500円商品枠に、出展することになった。
知り合いの手相観はしてきたけれど、知らない人の手相観は初めて。
実力が試される。
今まで手相観をした知り合いからは、ほぼ全員から「また観てください」と言われた。
それは、わたしという人間を知っている相手だからこその、信頼から出た言葉だったのかもしれない。
こんどは、わたしを知らない人が相手。
わたしの手相観は通用するのか、信頼されるのか。
不安とわくわくを並走させながら、手相観テキストの復習をしつつ、アイテムを準備中。
テーブルクロスを買いにいったり、出展名プレートをつくったり、おつりの500円玉をストックしたり。
準備は、けっこう楽しいぞ。
→3/11(日) 浅草のこちらのフェアに参加。出展名は「手相のすすめ。」
http://iyashifes.com/tokyo35

 

切り替える年

異動希望を出してから二週間。
最近、夜、眠れるようになってきた。
とはいえ、希望かなわず、異動しないままかもしれない。
でも、「異動希望者」として、会社から認識されることになる。
考えるほどに、異動すべきだという思いが強くなってきている。
わたしの仕事をいっしょにやっていた人がどんどん減っていき、
派遣スタッフもゼロにしなくてはならない状況になって、
もうわたしひとり(これってワン・オペ?)しかいない状況になって、
それでもなんとか回していける方法を必死で考えて、
これならなんとかやっていけるかな、と思うところに来た。
でも、気がついた。
わたしの仕事をしたい人は、社内にいないようだ。
ということは、わたしの仕事を引き継ぐこともできない。
だけど、わたしの仕事のかたちを全く変えて、やりたがっている人たちが出てきた。
わたしは、わたしのやってきた仕事を終わらせるべきだ。
今まで仕事で積み上げてきたものを捨てるべきだ。
経験も知識も信頼もすべて。
雇用されている人間は、遅かれ早かれ、そういうときが来る。(定年とか)
そういうときに慣れておけると思わないと。
仕事にしがみついているように思われるのもいやだし、異動するんだ!
と、決めたものの、ぐっすり眠れない日々がつづいていた。
でも、ふと、最近、チェックしていなかった、九星気学分野の、2018年についての情報に触れたとき、驚く。
<2018年は大転換の年。 価値観を全く変える一年。
今までの自分の生き方にしがみついていると取り残される。
今まで努力してきた事があったとしても、そんな努力とは無関係に、 全く新しい状態にシフトする。
 過去の実績、過去の栄光、過去の努力、 長く続けてきた職業、獲得した資格、そういうものに、しがみつかない事が必要。>
だいじょーぶじゃん、わたし!変化にのっているじゃん!
とたんに、夜、眠れるようになった。
昨日のお昼、最近足を向けていなかった、老舗のおにぎり専門店に足を向けると、そこには「閉店しました」の貼紙が。
何十年も営業してきた老舗だから、経営不振などの原因ではないはず。自ら選択した「終り」のはず。
ちゃんと今年の変化にのったお店だといえるな。
夫婦で営んでいたおにぎり専門店は、おつりを差し出す奥様の手が、指長の芸術家的な手で、おにぎり屋さんを営む手ではないなあ、といつも感じていた思い出がある。
おにぎりじゃなくて、手を思い出にしているわたしなのだから、手相を観ることになったのも自然なことだ、きっと。

激しさのモト

実在の人物をもとにした鑑定練習を最近始めている。
鑑定の材料の算出は、自動計算ソフトも使用できるけれど、それに頼らずに手動で計算していく。
そのほうが技術が身につくし、答えあわせもできるし。
先週末は、鑑定練習に、○ティーブ・ジョブズを選んだ。
せっせと手作業で計算し、人体図をつくってみたとたん、まきおこる違和感っ。
らしくない。彼らしくない、この人体図。そんな違和感。
答え合わせをしてみたら、やっぱり、一箇所、計算の仕方をまちがえていた。
こうやって練習を重ねていけば、間違いも少なくなるはず。
計算をやりなおして、できあがってきた人体図を見たとき。
うん、これだ。なんだかすごく、彼らしい。
できあがったのは、火と水だけの人体図。
木も土もない、相容れない関係同士の、火と水だけをもつ人物。
熱さと冷たさを両方持ったら、激しい葛藤が生まれる。
コンピュータの世界のモトは、0と1だけ。
0と1があれば、世界がつくれるように、火と水だけで、つくられた世界がある。人間の中に。
算出する鑑定材料は、人体図だけではないけれど、
できあがった瞬間に呆然となったり、惚れ惚れしたりするのは、人体図だなあ。不思議。