森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

生まれたときから二重感情線

手相の、感情線が二本ある状態を、二重感情線という。
私は生まれたときから片手に二重感情線がある。
その後も、感情線は、三本目、四本目と増殖中である。どこまで増えるんだか。
二重感情線といってもさまざまなものがあって、ひとくくりに意味合いの判断はできない。
感情が二倍、情熱も二倍であって、その二倍感がどのようなかたちで現れるかは、いろいろだから。
じぶんが二重感情線だから、じぶんの場合は、こう現れたたな、と思うことはある。
それまで継続してきたことを、突然、ばっさり断ち切ってしまう、という現れ方。
それは、人間、モノ、コト、すべてに渡って。
一本の感情線の情熱が、突然途切れて、あらたにもう一本の感情線の情熱が始まるみたいに。
長年の友人にそのことを指摘されて、そこまで完璧に断ち切らなくても、と助言され、意識して「ばっさり断つ」ことを、なるべくしないようこころがけてみた。
最近ひさびさにやってしまったのは、半年前に、それまで五年間毎月通っていたマッサージ店を断ち切ったことかな。
わたしが一生懸命とりくんでいることを、大金を生み出さないことは価値も低い、という言われ方をしたときに、もう二度とここに来るのはやめよう、と突然決めた「ばっさり」だった。
だから、わたしにとっては、長く継続してきたことを、あるときばっさり断ち切ることは、得意ワザなはずなのである。
その得意ワザをやろうとしているのに、苦しいのは、仕事かプライベートかのちがいなのかな。
プライベートのばっさりは平気だけれど、仕事のばっさりは難しい。二重感情線のくせに。

うぐいす来たる

今朝、うぐいすの声で目覚める。
冬の土用に入ったばかりだけれど、春がもう来ているということなんだろうか。
朝、家を出る前に、しばらく考え込む状態は今も抜けない。
今朝は、サンクコスト(埋没費用)について考える。
ここまでお金を、時間を投資したのだから、やめるのはもったいない、と考えるのが誤りであると。
人間の経験や知識も、サンクコストなのかもしれない、と考える。
ここまで経験と知識を積んできたのだから、ここから撤退するのはもったいない・・・という考え方も、サンクコスト。
企業ではなくて、個人のサンクコストなのだから、その人が、しあわせなのかどうか、で判断すればいいのかも。
個人ではなくて、企業だって、お客がしあわせなのかどうか、で判断すればいいのでは?
企業の事務処理を変えることが、お客をしあわせにするとは、あまり思えないわたし。
でもわたしの話は聞いてもらえないし、伝わらないし。
午前中に目にしたニュースは、銀行は経費削減のため、紙の通帳を廃止したがっているというもの。
でも紙の通帳を廃止することで、お客が喜ぶ(=しあわせ)とはいいがたい。それは銀行側もわかっている。
なんだかそれと似たような感じ。

苦しい理由

南東の仮住まいに出て、9月末に北西に戻ってから、三ヶ月が過ぎた。
この三ヶ月、苦しくて苦しくてならない。
南東の仮住まいに出たときは、出たとたん、こころも体も毎日すこやか♪という楽しさだったのに。
これは、北西という方向の重みだろうか。
最近では、毎朝、20分くらい悩んでから家を出る状態になっている。
わたしの周囲から、わたしが携わっている業務の経験を積んだ人間が皆無になったせいか、同じ部署の人たちに、「言葉が通じなくなってきている」のを感じている。
経験値の増加は、言語化できない経験の増加でもある。
言語化できない経験を、言語にしなくても伝わる相手が、私のそばから、もういなくなっている。
共通言語を持つ人がいない苦しさ。
「伝わらない」ということがこんなにも苦しいとは。
私はどういう生き方をしたいんだろう?と、考えたりする。
誰かになにかを伝えていく生き方をのぞんでいるから、伝わらない状況にこんなに苦しむのかとも。
言語が伝わらない中にいるということは、私はこの部署のなかでは外国人も同然ということになる・・・。
折々の機会に、何人かの人たちから、異動は考えないのか?と問われてきた。
他の会社がどうなっているのかは知らない。
わたしの勤務先の会社は、本人の希望通りに異動がかなう事はめったにない。
でも、どこかへ動くべきときかもしれない。
会社からの異動希望アンケートが配布されるのは、これから10ヶ月先。
それまでの、半年後、10ヶ月後に、わたしの苦しさが減るか、なくなっているような絵が浮かんでこない。
今の時期、異動したいキモチを伝えられる機会があるのは、産業医相談だけだ。言ってみようか。
今朝、20分悩むかわりに、易をたててみる。
「雷水解(らいすいかい)」。「解決」の卦。
第四爻。腐れ縁を切れば、朋友が得られるって?
「雷水解」の上卦は雷、星でいうと三碧木星、前にすすむ星。
止まって悩むより、すすむときなのか。
すすんでみよう、と今月の産業医相談の予約を入れる。

楽しむのに

年末年始休、故郷に帰省していた。
親元には、現在、猫がいる。
家族といるときは、意味もなく楽しいのがいいと思ったりする。
じぶんのキモチを言葉にできない猫の一挙一動も、意味もなく楽しい。
楽しむのに、リクツはいらない。
先月、「バナナゼロ・ミュージック」の中で、ザ・ドリフターズの代表的なコント、「ひげダンス」と「聖歌隊」を出演者が再現していた。
このふたつに使われている音楽は、ばりばりのブラック・ミュージックが元。
元々ドリフは、コント発ではなく、音楽発の人たちだったから、音楽的素養はしっかりとある人たちだっけ。
それにしても、「聖歌隊」で歌われているのは、歌どころか、早口言葉にすぎないのだ。
誰でもできる、ナマムギナマゴメナマタマゴ、というだけで、イェーイ、と周囲はこれだけ盛り上がってしまえるんだ、と今更ながら感心してしまう。
ドリフがこどもに圧倒的な人気を誇ったのも、リクツのいらない楽しさをつくりあげてしまうからだ、と今更ながら感心してしまう。
楽しむのに、リクツはいらない。頭はいらない。

仕事のやりかた

同じ仕事を受けて、同じ結果を出しても、仕事のやりかたはちがう。
人によって、やりかたがちがう。
私がここ二年くらい苦しんでいたのは、前任者の仕事だけではなく、前任者の「仕事のやりかた」もそのまま残されたためだった。
このやりかただと、私にはとても苦しい、ということに悩みつづけていたんだ、と気づいた。
私が苦しまない仕事のやりかたに、変えていく必要がある。
たとえば、目の前に「仕事の指示を待っている人」が全労働日、全労働時間ずっといる。
前任者は、その状態が苦にならなかったらしい。でも私は苦しい。
全労働時間、じぶんのペースで仕事ができないのが、とても苦しい。
だからそのやりかたをなくしてしまうことにした。
目の前にいない人に、まとめて仕事を渡し、その仕事ができあがるまでのあいだ、私はじぶんの仕事をしている。
そういうやりかたに変えることにした。
「仕事の指示を待っている人」とは、派遣スタッフ。
契約書には、派遣先の「指揮命令者」を定める義務がある。
つまり、仕事の指揮命令をしなければ、業務が行えない、じぶんの判断では動けないのが派遣スタッフということ。
派遣会社は、派遣先の人間が、じぶんで指揮命令ができる点を、いいことのようにアピールしているが、とんでもない。
指揮命令の仕事がストレスになることが、どんなに多いか。
相手が人間だから、ヒマにさせてしまうことにも、気をつかうし。
人間ではなく、感情がないものだったら、どんなにヒマにさせても気をつかわなくてすむのに、というこの思いが、人間ではないものによる労働力の需要を生むんだろうか。
入力仕事が9割以上の部署で、入力派遣スタッフゼロにするのは、社内ではじめてのこと。
どうなるかわたしにもわからない。(来月からそうなる)
わたしはじぶんのやりかたで仕事をするだけ。

りすサンタ

週末に友人が自宅に来るので、お菓子を探しに行き、伊勢丹で見かけた西光亭のクッキーを買う。
クリスマス仕様の、サンタクロース服の、りすの絵柄のハコに入ったクッキー。
ハコの可愛さが差別化の勝利。
中身のシンプルなクッキーも美味しいんだけれど。
さまざまな、りすの絵柄のハコが並んだ、クッキー売り場のガラスのショーケースにかぶりつきで選ぶ楽しさ。
りすの絵柄が魅力的じゃないと、この売り方は成立しないから、りすの画家の力が大きい。
マッチ箱のような、小箱サイズもとびきり可愛いなあ。
りすが欲しくて買うのか、クッキーが欲しくて買うのか、もはやわからない。
クッキーが山のように売っている中で、選ぶ決め手になることはたしか。
わたしが選んだ、ハコに描かれたサンタクロース・りすは、肩掛けカバンにヘビを入れているりすで、以前ヘビにかまれた小学生男子が、ヘビをかばんにいれて持ち帰ろうとしたらかまれた、というニュースの解説にびっくりした記憶があるけど、そういうことするんだよ、小学生男子って、と友人と語らいながらクッキーを食べる。
仕事面で悩むわたしに、わたしはじぶんで思っているより100倍も真面目だから、真面目にならない部分をもっと入れたほうがいいよ~、と、友人の職場に数多く存在する「デキない事務職」の話をしてくれる。
何度用紙の枚数を数えても毎回合わない人とか、エクセルのコピー範囲が毎回ズレる人とか、コピーの上下を設定のたびに変えてしまう人とか、それによって毎回、周囲がひっくりかえりそうな事態に陥ることとか。
「デキない事務職」の話は面白い。「デキる事務職」の話は面白くなりにくいけれど。

はぐみ、なごみ。

ハグみじゅうたんを買った。
じゅうたんを買うのは初めてである。
何十年も、フローリングだけで過ごしてきた。
しかし、「ハグみじゅうたん」を知り、ショールームに行き、買ってしまった。
しかし、部屋用のじゅうたんサイズで一番小さなものでも、わたしの部屋に敷いたらクローゼットの扉が開かなくなると気がつき、玄関用Lサイズ(70センチ×110センチ)を二枚購入して、二枚を並べて敷いた。
一枚は蒼と白のグラデーション、もう一枚は薄紫、ピンク、黄色、黄緑、ベージュのグラデーション。
一番値のはる「ており」シリーズ。だって触れ心地と色合いが、他のシリーズとまったくちがったのだ。
紬の着物のような、人工より自然に思い切り針が寄った、攻撃してこない色合い。
自然光の直射日光の下で見たとき、自然光の日陰で見たとき、人工灯で見たとき、毛が立っている方向から見たとき、毛が寝ている方向から見たとき、ぜんぶ色合いが異なる。
一番綺麗なのは、自然光の日陰だなあ。
蒼いじゅうたんの上に座って飲食しながら、薄紫のじゅうたんをぼーっとながめることが多い私なのだけれど、ほとんど、じゅうたんを鑑賞しているような気がする。
鑑賞して、癒されているような、なごんでいるような気がする。
異国のじゅうたんのデザインは、部屋に置いたら浮くかも、落ち着かないかも、と私は感じていたけれど、これは、落ち着きをもたらしてくれる、日本人のためにつくられたじゅうたん。(生産地は異国だけれど)
部屋用サイズのておりシリーズは、若い年代にとっては、給料一か月分の価格なのでは?と思う。
しかし、部屋用サイズのておりシリーズの大部分が、注文が殺到していて制作待ちなんだって!
来年の8月にならないとできあがってこないのに、それでもいいと注文していくお客さんもいるって!
ショールームで聞いた話。)
私が買ったサイズは、需要が少なめのサイズらしく、待つことなく手にはいってしまったが。(わたし、「巨大な玄関サイズじゅうたん」を部屋に敷くという邪道な発想をしたから。)
売れなくて困っている人は多けれど、困るほど売れるってすごいなー。
売れるものは売れるんだ。価格とは関係なく。
じゅうたんを敷き始めて、一年は、遊び毛が出ますよ、と説明された。
気がつくと、白いふわふわした綿毛のようなものが、部屋のあちこちに落ちているようになった。
これが遊び毛かあ。
羊毛じゅうたんなだけに、わたしの部屋にひつじが一匹住んでいるような感じ。