森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

二重生活線ふたたび。

二重生活線に再び遭遇してしまった。
先日、見せてもらった知人の手相に、今度は両手に、くっきりと。
ふたつの居場所を往復する二重生活線。
二重生活とは、自宅と自営の職場との往復か、自宅と親族宅の往復になる線。
でも相手はまだ二十代で、二重生活線が始まるのは五十代だ。
今、わざわざ伝えることではない。この先変化する可能性もあるし。
それに、二十代の知人の手相は、健やかで、しっかり自分の人生を歩もうとしていて、未来の可能性にあふれている手相だった。
二重生活も、たぶんマイナスというよりプラスのかたちであらわれる可能性が高い。
しっかり人生を歩んでいることが、あらわれている手相の持ち主なので、しっかりした答えを求めてくる。
それは何歳から?と具体的なことをどんどん聞かれる。
だから、わたしがこうだなっと思える年代を、えいっと、どんどん伝える。
はぐらかすという答え方をする手相観の人もいると思うけれど、はぐらかされたときのきもちはいいきもちではない、と思う。
どうやらわたしは、はぐらかすという答え方は嫌いらしい。と、こんなところで突如気がつく。日常のシーンでもそうだな。
具体的な部分まで読み取れないと、手相観とはいえないよね。がんばります。

二重生活

手相を学んでいる、と言ったら、友人がさっそく手を見せてくれた。
手の中に、はっきりした特徴的な線があって、それは、生命線が、中年をすぎてから増強されている線だと思って、そう伝えた。
その一週間後に、その線は、「二重生活線」であるという情報が偶然入る。
しかも、教科書通りの綺麗な二重生活線だったんだなあ、友人のは。
しかし、友人にそれを追伸として伝えるべきかどうかについては、悩み、見送ることにする。
二重生活線は、行き来する場所を、ふたつ持った生活をするという線。
それは「家庭と仕事場(ただし自営の)」かもしれないし、「嫁ぎ先と実家」なのかもしれない。
前者はともかく、後者は、人によって受け止め方が微妙な気がする。
手を見せるときは、とってもどきどきする。
それは、怖いどきどきというより、楽しいどきどき。
じぶんの手の上には、きっと素敵なものが示されているはず、という期待のどきどき。
二重生活線が、友人にとって素敵なものであると確信できない段階では、伝えるときではないんだろう。
わたし自身「三十歳までは精神的に故郷と家族にひっぱられつづけていたけれど、その後じぶんの人生を歩けるようになりましたね~」(ちゃんとそういう線のかっこうになっていた)と言われたときは、嬉しかったもの。
これがもし、「ひっぱられつづけている最中」にある段階にそういわれちゃったら、落ち込んだと思う。
「過去」になってしまった段階で、伝えられたら、笑える。
素敵なものは、「いま」と「さき」にある。手相に限らず。

3月のRadio

NHKで放映中の「3月のライオン」が好きだ。
原作漫画は未読。アニメーションで十分に満足してしまっているからかもしれない。
3月のライオン」というタイトルは、英語のことわざ"March comes in like a lion and goes out like a lamb."(3月は、ライオンのように荒々しく始まり、子羊のように穏やかに終わる)からの着想とのこと。
ここで私は「3月」という点で、痛くしびれてしまっている。
3月は、三碧木星(さんぺきもくせい)という星が担当する月。
三碧木星は、「男の子」の星。「若者」の星。「青年」の星。「青春」の星。「息子」の星。「長男」の星。
将棋の世界の「男の子」が主人公で、将棋の世界の「男の子たち」や「かつての男の子たち」を描くドラマのタイトルの中に、「3月」が入っている。きらっと三碧木星が笑っている。
着想モトとなった英語のことわざも、「青春のすがた」を示しているように思えてならなかった。
最近、さらに、三碧木星を示すもので、とびこんできたのが、「壊れかけのRadio」。
これもまたNHKで放映中の「バナナゼロ ミュージック」で、特定の歌に対してつっこみを入れるつっこみラップの名手が登場し、ラップの部分だけ聞いて、つっこみ対象の歌は何かを当てるコーナーを見ていた。
これ、結果として、対象歌の「歌詞」がすごくクローズアップされ、「歌詞」を再考させられることになる。
そのときの解答曲が「壊れかけのRadio」だったわけ。
徳永英明・作詞の歌詞を反芻していたわたし、突如、タイトルに「Radio」が入っていることに驚いた。
「Radio」→ラジオ。ラジオも三碧木星が担う・・・。
「壊れかけのRadio」は、去りかけの青春を惜しむ歌で、それが徳永英明の変声期直前のようなかすれたソプラノな歌声にマッチしている。
青春の象徴として「Radio」を選択してきたのは、なんかすごい。
別に、「3月」や「ラジオ」が三碧木星の象意だなんて、作者は知らないはず。
無意識に、「ふさわしいアイテム」を選択する、感じとる力を、持っているということ。
クリエイターとかプロフェッショナルは、そういうものなのかも。
素敵なアニメーションや歌に対して、ヘンにピンポイントに震えているわたしであった。

九紫火星、ふたたび

先週、ピラティス教室でトレーナーさんから、「もしかして、気学に興味はありますか?」と聞かれる。
な、なぜその質問をわたしに?
「はい、勉強しています!」
「え~、もしかして鑑定もできますか?」
「はい、できます!」
トレーナーさんには、気学の話をしたことはまるでない。
ただ、ピラティスのレッスンなので、身体の調子を毎回聞かれる。
だから、こういう不調があったけれど、こういう食べ物をとったら良くなって・・・とか、過去にこういう病気をしたけれど、こういうサプリメントをとったら良くなって・・・とか、「わたしの不調時の、のりこえかたの発見」の話はさんざんしてきた。
そんなわたしを見てきたトレーナーさん、最近トレーナーさんの友人が、気学を勉強していて、気学の話を聞かされ、わたしも気学に関わっていそうな人では?と思い浮かんだそうだ。
気学の最大の醍醐味は引越しなんだけれど・・・ここが信じるか信じないかにわかれるところ。
するとトレーナーさんから、
「嫌な人間関係を断ち切るには、どの方向へ引っ越せばいいですか?」
と質問される。
それなら九紫火星の方向だ。
九紫火星は「離」の作用を持っていて、その人から不要なものが離れていく働きがあるとされる。
不要な脂肪、不要な病、不要な人間関係、不要な仕事、不要な困りごと、などなど。
まさかこれが?というようなものも離れていく。
まさかこれが?というようなものが、なぜ不要なものだったかは、本人にしかわからないと。
トレーナーさんは五黄土星。生まれ月もチェック。
うん、九紫火星の方位が直接とれる人だ。(わたしはとれない)
「今年中に引っ越すんだったら、南東です」
と結論。
九紫火星がのっている南東に行くだけでも、離の作用が働くはずだけれど、南東の中でも、南寄りにすると、その効果が今年は12倍。
プラス、今年の五黄土星の人に限って、さらに12倍になり、「今じぶんがもっているものがすべて活きる」作用が加わる。
しかし、12倍以降の話はしなかった。
本当に引っ越すかどうかは、その人の決意しだいなのだ。
だから、もしも引っ越すと決めたら、引越し月も重要なので聞いてくださいね~と伝えた。
九紫火星の作用は、わたしもぜひ体験してみたいんだよなあ。

今年の五黄土星がうらやましいぞ。

九紫火星の力

わかりやすい美しさに惹かれてきたんだなあ、といまさら、気づいた。
見た目に、わかりやすい、華やかさ、鮮やかさを持ったもの。
美男美女の芸能人や、二次元のキャラクターや、二次元の芸術。
「わかりやすい美しさ」は、九紫火星(きゅうしかせい)が担う。
九紫火星が似合うのは、見た目にわかりやすい美しさ、見た目にわかりやすい頭脳明晰さ。
テレビ局や、芸能界や、映画・美術業界や、ファッション業界や、美容業界、医者、弁護士、高級官僚は、九紫火星の世界である。
美しさも頭脳明晰さも、見た目(肩書き)に表れていて、わかりやすいでしょう?
フランスでは、あたらしい言葉が登場すると、その言葉を男性名詞にするか女性名詞にするか、国が議論をして決めると聞いたことがあるけれど、九星気学でも、あたらしいものが登場すると、このあたらしいものは、どの星が担うものかも、判断しようとする。
かつて、インターネットも、そのあたらしいものだった。
最初、インターネットは、通信手段だった。
通信の世界を担うのは、四緑木星(しろくもくせい)。
だからインターネットは、四緑木星が担うもの、と判断された・・・だけじゃ、すまなくなった。
インターネットはいつしか、「見た目の創造」を担っていく。
写真や、文章で綴られた表象は、真実とは限らない。
しかし見た目の世界は、見た目にわかりやすい魅力をもったものが、指示を集める。
中身、内実ではなく、見た目をどうアピールしていくかは、四緑木星ではなく、九紫火星の力。
だからインターネットは、四緑木星だけではなく、九紫火星も担っているもの、となった。
「どの星が何を担っているか」を、その星の「象意」(しょうい)と言う。
見た目よりも、内実の、美しさ、豊かさ、濃さを担う星は、また別にある。
しかし、見た目にわかりやすい九紫火星の美の世界の、なんと魅力的なこと。
一生、そこから抜け出せない人も、たくさんいるだろう。
九紫火星の魅力から、卒業できたとき、あたらしいセンスが手に入るのではないかなあ、と思う。
たとえば、地味色の紬や、わび・さびの世界は、九紫の世界とはちがう世界にあるもの。
たとえば、ふつうの人たちの、唯一無二の手。手が語りだす力を感じ取れるかどうか。
それにしても九紫火星の世界は魅力的すぎて、卒業するのはなかなかむずかしいんだけどねー。

半月の意味

私の指のツメには、半月がない。
こどもの頃は出ていたけど、気がつけば、ここ何十年、半月が昇っていない。
「半月がないのは栄養不足」という説を聞いたけれど、なんだかうなづけない。
こどもならその説、採用してもいいと思うけど。
でも、最近、腑に落ちる説明がやってきた。
「半月はじぶん」という説。
じぶんを抑えている、隠している人は、ツメの半月も隠れていると。
本来のじぶんではないものまで、表さなくてはならない人は、半月が昇りすぎていると。
だから、ほどよい半月は、ほどよくじぶんを表すことができている人。
それが健康ということ。
昇れ、半月。

土用ラストスパート

土用のラストスパートに入った。冬土用の最終日は、2月3日。
2月4日から、気学上の新年がスタートする。
年に4回ある土用は、季節の境目、つなぎ目の期間で、大気が不安定になり、人のこころも身体も不安定になる時期。
だから土用期間は、自然の気に逆らわず、ムリをしないで過ごすことこそ、効率的。
(土用と関係なく・・・睡眠時間を削って働きつづけることも、無駄な時間なく働きつづけることも、人間的に不自然なことだから、効率的ではなく、非効率なことをしているということなのだ)
それにしても、今回の土用は、からだの面ではラクだなあ、と感じている。
たぶん、暖かめな気候のせいだな。
しかし、さすが土用期間、こころの面では、すこし不安定である。
そういえば、職場スペースの壁掛け時計。二ヶ月前くらいから、時刻が遅れ気味だ。
電池交換をして、きちんと動くようにしてみよう。と、突如昨夜思いたつ。
土用が終わる前に、変えておきたい。
わたしが突如そう思ったのは、わたしが六白金星だからなのだ。
六白金星にとって、近くにある時計が止まったり、遅れたりするのは、好ましくないこと。
なんで時計かというと、以前記事に書いたように、さまざまな事物は、木火土金水の五行のどれかに分類できるように、九星にも分類ができる。
で、「時計」は「六白金星」に分類されるのだ。
そのココロは?
時計は休みなく、正確に、動き続ける精密機械だから。
六白金星の人も、そういう人が多いはずなのである。
時計が遅れるか止まる→そばにいる六白金星が調子をくずす前触れ、と思ってもいいことも。
しかし「休みなく正確に動きつづける」ということは、じつは人間としては不自然なこと。
人間は、時計にはなれない。
だから、六白金星は、常に強くて完璧な仕事ぶりに見えて、ときに、からだもこころも折れるときがある。
だって不自然なことをしているんだもんね。
出社してすぐ、壁掛け時計の電池交換をしたとたん、息を吹き返したように、秒針が元気に動き出した。
わたしのこころにも元気が回復しますように・・・と時計に頼んだりして。
土用最終週。