森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

土の色は何の色

日本の紙幣は、地味な色である。
他国には、異様にカラフルな紙幣もあるのだ。
アートのような、おしゃれな紙幣だったり、ブラッディな赤い紙幣もある。
しかし、あの、電気を消した部屋の中にお札内の人物がじっとしているような渋さが、お金のデザインには、なじむと考えるのが日本人の感覚なのだろう。
カラフルだと、紙幣を人前で取り出すときに、見せびらかしているようだし、軽々しい気がするし。
日本の紙幣のデザインの渋みのモトは、土色(つちいろ)なんじゃないかと思う。
最後に土色の水にさらして、土色仕上げをしているような感じ。
気学では、「土」は「金」を育てる、というリクツがある。
鉱石が土の中から生まれるからである。
土の星がになう色は、土にゆかりのある、黄色、茶色、黄土色など。
黄色い財布が縁起物とされるのは、黄色がお金を育てる色だからである。
しかし、財布の色以前に、日本の紙幣は、もう土に守られている気がする。
紙という、本来はお金にそぐわない材料を使った、紙幣という金を守っているのが、土色。
(硬貨も、銀色という、直球で「金」の星の色を使っていたり、やはり「土」の色の銅色を使っている。)
紙幣を見ると、日本人は、土色づかいが、わかってる!と感心してしまう。
もうひとつ、わかってる!と感心した使いぶりがある。
それは、新幹線のお医者さん、ドクターイエロー
線路周りに悪いところがないか、診察に走るドクターイエロー
文字通り、黄色い車体。土の色の車体。
前記事で伝えたように、土の星3つの中のひとつ、五黄土星(ごおうどせい)は、誰もが見放すような病や、腐敗や、ダメなものを、見捨てずに、癒してよみがえらせる力がある。
イエローは、五黄土星のスゴい治癒力の色。
イエローをもっているなんて、そりゃ最強の医者なのだ。
公的ホームページでチェックすると、黄色にした理由は「目立つ色」で、「前世代の点検車体も黄色だったからそれを受け継いだ」とあるが、とにかくココはイエローじゃないとね!
じかにドクターイエローを見ぬうちから、その実力を信頼しきっている、わたし。

身近な五黄

気学の九つの星の中のひとつに、五黄土星(ごおうどせい)という星がある。
「土」をつかさどる3つの星の中のひとつである。
わたしの父と母がこの星である。
五黄の土から生まれ、五黄の土に育てられた、ワタシ。(ちなみにワタシの星は六白金星(ろっぱくきんせい)という)
たぶんわたしは、他の人よりは、五黄土星と関わった時間が長く、五黄土星を知っているんじゃないかと思う。
気学を学びはじめて、「あ、五黄だ」と最近、わかったのは、母の掃除の仕方かなあ。
わたしが幼い頃から今日まで、母の掃除の仕方には一貫した特徴がある。
まず、一定期間、散らかし、片付けない。
一定期間といっても、食器の洗いものなら丸一日、部屋全体は4、5日といったところか。
まず散らかった、汚れた状態を作る。
まず、混沌の状態を作り出す。
そして、ある時点で一気に、混沌の状態をクリーンにする。
がーっとまとめて洗いものをしたり、がーっとまとめて掃除機をかける。
ちなみにわたしは、ひとつ食器を使うたびに、すぐに洗って、水気を拭いて、しまう、という人間である。
きれい好きなわけじゃなく、掃除が嫌いだから、小分けにすれば、気が楽でそうしているだけである。
しかし、母は、まず混沌、腐敗の状態をつくりだし、それをがーっと一気に解消するのが好きらしい。
それ、とても五黄的なのだ。
五黄は、誰もが見放すような腐敗や病人ややっかいごとを相手にし、よみがえらせてしまう星。
ゴミをクリーンにするのではなく、ゴミを宝に変えてしまうような星。
納豆づくりやワインづくりなど、なにかを発酵させることが、得意な星。
時間を発酵させる(思い出をずっと覚えていたり、ずっと先の予定を楽しみに待つ)のも好き。
それと、無駄な動きはしたくないのも五黄。
いかにして、じぶんが動かずに、物事を成すかを考える五黄。
シンクに食器を山積みにしてしばらく放置してから、がーっと一気に洗う母のすがたに、「発酵→混沌と腐敗をつくりだす→一気によみがえらせる」、という五黄のプロセスの現れを感じる娘なのであった。

 

紅白の黒白

黒い衣装と白い衣装が妙に多かった、昨年末の紅白歌合戦
べつに開催者側から、指示があるわけでもなく、出演者が示し合わせたわけでもないのなら。
この、黒と白の選択の多さは、なにゆえだろう?
紅白に出演できるのは勢いに乗っている人たちで、その人たちの背後には、勢いの波に乗らせる、波を読もうとしている陰役がいっぱいいて・・・。
勢いの波に乗ろうとしている人は、過去より未来を見ている。
さっき来た波より、次にくる波を。
勢いの波を読むことに優れたセンサーやアンテナを今、もっている人たちがなんとなく黒や白を選択したのなら、わたしはなんとなく納得してしまう。
白と黒の色をになう星、一白水星(いっぱくすいせい)が、2017年の立春後から、人の気を支配する。
紅白で、白と黒の衣装を選んだ人たちは、より運気が強い人たち。
優れたセンサーを持つ人々は、次の星の気をキャッチしているように思えてならなかった、昨年の紅白。

引き止めるラッキーナンバー

病院で「4番」の診察室を見たことがない。ある?
ひとつの科で、いくつもの診察室が並んでいるような病院では、1,2,3の次にくるのは5番診察室だ。
「4」の存在はシカトされている。
日本で病院をつくるときのお約束なんだろう。
「4」が「死」を連想し、「4」があるだけで、「死」を招くと。
(音が別の意味合いの同じ音を呼ぶということは、まるっきり迷信というわけではなく、軽視できないということを、別の分野でわたしは学んだ。)
気学の九星は、じぶんの数字をもっている。
この数字をラッキーナンバーとして、使うことがある。
たとえば、じぶんでどれでも自由に数字を選べます、という状況におかれたら。
目を閉じて数字を選ぶ、という手もあるけれど、選択基準をもっていると、早いし、迷わない。
面白いのは、じぶんの星の数字が、じぶんのラッキーナンバーになるわけではないということだ。
そして、ひとつだけではなく、複数ある。
わたしの場合、ラッキナンバーの中に「4」があるのよ。
気学を勉強しはじめて、「4」はわたしの中では、スケアリーナンバーではなく、ラッキーナンバーに変わった。
カモーン、「4」♪って感じである。
実はこのラッキーナンバー、今のわたしのこころのストッパーにもなっている。
じぶんで選べる状況で、ラッキーナンバーを使うのではなく、選べない状況なのに、ラッキナンバーをもらってしまったら?
故意のラッキーナンバーと偶然のラッキーナンバー。
偶然のほうが、故意よりも格上のような気がしてならないわたし。
マイナンバーじゃないよ。
勤務先の社員番号がラッキーナンバーなのだ。
なぜーっ!って感じ。
入社時から変わらない、入社時にもらった、そして退社するまで変わらない。
入社から退社まで、わたしにひたっと付いている社員番号がさ。
ときおり、もーっ辞めよう!と弱まるわたしの背中を、がしっと支えるストッパー。社員番号。
が、がんばってみるか・・・とたちなおる。
じぶんをたちなおせるコワザはいくつも持っておくべきだからさ。

九つの星

気学には、陰陽、木火土金水のほかに、9つの分け方もある。
それが九星。
九つの星。
人間は、「じぶんの星」をもち、じぶんの星が何かは、生まれ年で決まる。
九星がぐんと面白いのは、じぶんの星以外の星の力も、わけてもらえるということだ。
九つの星は、それぞれ、じぶんの良さを持っている。
九つのかっこよさ、九つの可愛さ、九つの美しさ、九つの優しさ、九つの賢さ、九つの強さ、九つの弱さ、を持っている。
どれが足りない? どれに助けてほしい? どの星の、どんなところがうらやましい?
一度にぜんぶは、もらえない。
まず、じぶんはどれが足りないかに気づかなくてはならない。
そのために、じぶんの星のことを、じぶん以外の星のことを、九つの星のことを、知ろうとする。学ぼうとする。
じつはそれは、「星」じゃないのだ。
じぶん以外の星のいいとこ、を知ろうとするのは、じぶん以外の人のいいとこ、を知ろうとするのにひとしい。
じぶんとは違うかっこよさを、たのもしさを、いさぎよさを、学ぼうとするのにひとしい。
ふうん、こんなかっこよさもあるんだ、いいなあ、じぶんもこんなパワー、足したいなあ、という気持ちが生まれてくる。気持ちが育ってくる。
足りないパワーを知ろう。九星のパワーを知ろう。人のパワーを知ろう。
それが九星を知るということ。九星を学ぶということ。
それは星を学ぶことに限らず、人を学ぶこと、世界を学ぶことにも、なっていくはず。
じぶんを学ぶということにも、なっていくはず。

木火土金水

巨大で曖昧なものを、理解しようとするときは、整理整頓が効く。
もしも部屋中に、雑多なものが散らばっているとして、その整理整頓の方法は?
グルーピングじゃないだろうか。
5つのハコを用意する。
部屋中に散らばっているものを、5つのハコにグループ分けする。
5つのハコは、名前を持っている。
木、火、土、金、水(もっかどごんすい)という名前を持っている。
木のもの、火のもの、というかんじで、5つに分けてハコに入れていく。
たとえば、「メガネ」は火、「トランク」は土、「ピストル」は木、「刀剣」は金、「幽霊」は水、って感じに。(どんな部屋だ?)
気学のリクツ、基準で、分けていく。
部屋の中だけにとどまらず、世界にあるさまざまなものを、5つのハコに分けることができる。
グループ分けなんて、ヘンテコなことかもしれない。
でも、たとえば人間関係。
じぶんを取り巻く人間関係を、どうやってとらえる? グルーピングしないととらえにくいのではないだろうか。
グルーピングなんてしてない、という人も、「好き」「嫌い」「どちらでもない」「遠い」「近い」「なかほど」くらいの分けかたは、無意識にしているんじゃないだろうか。
わたしはあるとき、じぶんは人間関係を距離でとらえて、同心円上に円をつくっていくグルーピングをしている、と自覚した。
また、ある知人は、「用途別」に分けていた・・・その分け方は、乾燥した感じで、なんだか好きになれなかった。
わたしはどの「用途」なんだろう?と、思った。
木、火、土、金、水という分け方は、ずいぶんと優しい分け方だと思う。
それぞれ、他にはない良さと性(さが)がある。
5つのハコ、木、火、土、金、水(もっかどごんすい)を、五行(ごぎょう)という。
気学が決めた優しいグルーピングである。

陰と陽

ずっと前、テレビで、番組出演者の俳優のひとりについて、好きか嫌いかを女性たちへ街頭インタビューしているのを見た。
好きか嫌いかを答えたあとに、その理由も聞いていた。
面白かったのは、好きな理由と嫌いな理由が、同じだったのだ。
好きな理由は?→「マッチョな身体だから」
嫌いな理由は?→「マッチョな身体だから」
同じ「マッチョな身体」を、ある人は魅力ととらえ、ある人は欠点ととらえる?
もしかして、長所と短所は、同じものなんじゃ?
短所は長所になり、長所は短所になることもあるのでは?
気学では、宇宙のすべてのものは、陰と陽のふたつに分けられる、というリクツがある。
プラスとマイナス、男と女、光と闇、火と水。
陰と陽、どちらかが優っているわけではなく、どちらかが悪いわけでもない。
気学では、まず、陰ありき。陰からはじまり、陰が存在するから陽が存在するとする。
日向が良くて、日陰が悪いというわけではなく、日向に咲くことを好む花と、日陰に咲くことを好む花があって、どちらかがどちらかに負けるということではなく、どちらも美しい。
すべてのものに、陰と陽があるのなら、社会の中にも陰と陽が、会社の中にも陰と陽が、家族の中にも陰と陽が、じぶんの中にも陰と陽があるのでは・・・と思う。
そして、じぶんの中の陰と陽は、まっぷたつに分かれるわけではなく、どれが陰か、どれが陽かも、実はじぶんでは気がつきにくい。
陰だと思っていたものが陽に、陽だと思っていたものが陰に変わる場合もあり、人の集まりの中で生きたとき、その変化は起こる。
陰陽のリクツを考えていくと、生きろ!動け!と激励されている気がする。