森火土金水

日々思うこと、さまざまな占術について綴っています。 mori ka do gon sui

九つの星

気学には、陰陽、木火土金水のほかに、9つの分け方もある。
それが九星。
九つの星。
人間は、「じぶんの星」をもち、じぶんの星が何かは、生まれ年で決まる。
九星がぐんと面白いのは、じぶんの星以外の星の力も、わけてもらえるということだ。
九つの星は、それぞれ、じぶんの良さを持っている。
九つのかっこよさ、九つの可愛さ、九つの美しさ、九つの優しさ、九つの賢さ、九つの強さ、九つの弱さ、を持っている。
どれが足りない? どれに助けてほしい? どの星の、どんなところがうらやましい?
一度にぜんぶは、もらえない。
まず、じぶんはどれが足りないかに気づかなくてはならない。
そのために、じぶんの星のことを、じぶん以外の星のことを、九つの星のことを、知ろうとする。学ぼうとする。
じつはそれは、「星」じゃないのだ。
じぶん以外の星のいいとこ、を知ろうとするのは、じぶん以外の人のいいとこ、を知ろうとするのにひとしい。
じぶんとは違うかっこよさを、たのもしさを、いさぎよさを、学ぼうとするのにひとしい。
ふうん、こんなかっこよさもあるんだ、いいなあ、じぶんもこんなパワー、足したいなあ、という気持ちが生まれてくる。気持ちが育ってくる。
足りないパワーを知ろう。九星のパワーを知ろう。人のパワーを知ろう。
それが九星を知るということ。九星を学ぶということ。
それは星を学ぶことに限らず、人を学ぶこと、世界を学ぶことにも、なっていくはず。
じぶんを学ぶということにも、なっていくはず。

木火土金水

巨大で曖昧なものを、理解しようとするときは、整理整頓が効く。
もしも部屋中に、雑多なものが散らばっているとして、その整理整頓の方法は?
グルーピングじゃないだろうか。
5つのハコを用意する。
部屋中に散らばっているものを、5つのハコにグループ分けする。
5つのハコは、名前を持っている。
木、火、土、金、水(もっかどごんすい)という名前を持っている。
木のもの、火のもの、というかんじで、5つに分けてハコに入れていく。
たとえば、「メガネ」は火、「トランク」は土、「ピストル」は木、「刀剣」は金、「幽霊」は水、って感じに。(どんな部屋だ?)
気学のリクツ、基準で、分けていく。
部屋の中だけにとどまらず、世界にあるさまざまなものを、5つのハコに分けることができる。
グループ分けなんて、ヘンテコなことかもしれない。
でも、たとえば人間関係。
じぶんを取り巻く人間関係を、どうやってとらえる? グルーピングしないととらえにくいのではないだろうか。
グルーピングなんてしてない、という人も、「好き」「嫌い」「どちらでもない」「遠い」「近い」「なかほど」くらいの分けかたは、無意識にしているんじゃないだろうか。
わたしはあるとき、じぶんは人間関係を距離でとらえて、同心円上に円をつくっていくグルーピングをしている、と自覚した。
また、ある知人は、「用途別」に分けていた・・・その分け方は、乾燥した感じで、なんだか好きになれなかった。
わたしはどの「用途」なんだろう?と、思った。
木、火、土、金、水という分け方は、ずいぶんと優しい分け方だと思う。
それぞれ、他にはない良さと性(さが)がある。
5つのハコ、木、火、土、金、水(もっかどごんすい)を、五行(ごぎょう)という。
気学が決めた優しいグルーピングである。

陰と陽

ずっと前、テレビで、番組出演者の俳優のひとりについて、好きか嫌いかを女性たちへ街頭インタビューしているのを見た。
好きか嫌いかを答えたあとに、その理由も聞いていた。
面白かったのは、好きな理由と嫌いな理由が、同じだったのだ。
好きな理由は?→「マッチョな身体だから」
嫌いな理由は?→「マッチョな身体だから」
同じ「マッチョな身体」を、ある人は魅力ととらえ、ある人は欠点ととらえる?
もしかして、長所と短所は、同じものなんじゃ?
短所は長所になり、長所は短所になることもあるのでは?
気学では、宇宙のすべてのものは、陰と陽のふたつに分けられる、というリクツがある。
プラスとマイナス、男と女、光と闇、火と水。
陰と陽、どちらかが優っているわけではなく、どちらかが悪いわけでもない。
気学では、まず、陰ありき。陰からはじまり、陰が存在するから陽が存在するとする。
日向が良くて、日陰が悪いというわけではなく、日向に咲くことを好む花と、日陰に咲くことを好む花があって、どちらかがどちらかに負けるということではなく、どちらも美しい。
すべてのものに、陰と陽があるのなら、社会の中にも陰と陽が、会社の中にも陰と陽が、家族の中にも陰と陽が、じぶんの中にも陰と陽があるのでは・・・と思う。
そして、じぶんの中の陰と陽は、まっぷたつに分かれるわけではなく、どれが陰か、どれが陽かも、実はじぶんでは気がつきにくい。
陰だと思っていたものが陽に、陽だと思っていたものが陰に変わる場合もあり、人の集まりの中で生きたとき、その変化は起こる。
陰陽のリクツを考えていくと、生きろ!動け!と激励されている気がする。

バトンタッチ

気学の一年は、1月1日から12月31日ではない。
2月始めの立春から、次の立春の前日までである。
1月は、まだ前年なのだ。
世間でいくら謹賀新年だ~と1月1日に騒いでいても、気学の新年はまだ先。
前年の最終月、ラストスパートの中にある。
これを節変わり(せつがわり)という。
気学のひと月も、1日からは始まらない。
4日から8日のあいだに、次の月に変わる。
節変わりも月変わりも、ある星からある星へ、その月の担当が変わるようなイメージである。
支配者のようなイメージだ。今年は、今月は、この星が支配するのね~ってイメージである。
月の変わり目に、前任星から後任星へ、バトンタッチが行われるのだが、
このバトンタッチ、あまりなめらかではない。
意識していると、変わり目のニ、三日前は、天候が荒れることが多いのだ。
雨の確率がとても高い。
前任星と後任星で、引継ぎにわ~とモメているのだろうか。
人間と同じ・・・。
たまに、変わり目でもとても穏やかなときがあって、そのときは前任星と後任星で仲が良いのだろうか。
人間と同じ・・・。
変わり目は荒れる。
何かが荒れているときは、何かが変わろうとしているときだ。
環境とか、こころとか、からだとか。
天にも地にも人にも、バトンタッチが何回もくる。
次のバトンタッチは12月7日。

気学のススメ

はじめて何かと出会うときは、たいていはプロフィールの紹介から始まる。
九星気学(きゅうせいきがく)を知ろうとしたときも、一頁目にあるのは、プロフィール。歴史だ。
シンプルに伝えると、五千年の歴史を持った、五千年分の東洋の智恵だよ、ってことだ。
知りたいか、知りたくないかで、立ち止まるか、通り過ぎるかを決めればいい。
国籍とか家系とか学歴とか社会的身分とか性別とか年齢とか、そんなプロフィールとは関係なく、知りたいと思ったら、立ち止まればいい。
今、じぶんの前に、じぶんのまわりに、「それ」はある。
「それ」以外のものに作用する力を持って。じぶんに作用する力を持って。社会に作用する力を持って。
「それ」は目に見えず、すがたを持たず、かたちを持たず、声を持たない。
だから、見えないもの、聞こえないものには、いっさい興味がない、知りたいと思わないのなら、通り過ぎればいい。
「それ」は、すがたを持たず、かたちを持たず、声を持たないから、べつのすがた、べつのかたち、べつの音になって、現れる。
知りたいという衝動に任せて学びはじめると、過去の「それ」に、思い当たり、いまの「それ」に気がつく。未来の「それ」に気がつく人もいる。
ぴかっ!きらっ!じわっ・・・という感じで、気がついていく。
学びをかさねて、ぴか!っきらっ!じわっ・・・の出会いをかさねていく。
それが楽しくて楽しくて、わたしは九星気学を学んでいる。
世の中には、さまざまな、たくさんの、世界の見方があふれている。
好きな世界の見方を選べばいい。好きなだけ、選べばいい。
わたしは世界の見方をひとつプラスした。
九星気学という見方をプラスした。
限られた知識にしか触れていないわたしだけれども、今まで出会ってきた世界の見方の中でも、とびっきり楽しい見方である。
「それ」を知りたければ、知ろうとすればいい。
信じるか信じないかではなく、試してみたいか試さなくていいかということだから。